更新日:2015年02月07日 09:11
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なぜこうも「意識高い系」ワードが世にはびこるようになったのか?

頭よさげな言葉や、やる気に満ちた言葉で自分を過剰演出することでしばしば揶揄される「意識高い系」。彼らの言葉は、なぜ人の心を逆撫でするのか? その境界線は受け取る側の世代や属性で変わるのか? ◆優越感を持って使うか否かが「意識高い系」ワードの境界線 なぜこうも「意識高い系」ワードが世にはびこるようになったのか? なぜこうも「意識高い系」の言葉が世にはびこるようになってしまったのか。『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)などの著書を持つ評論家の常見陽平氏はこう語る。 「僕の認識では、’00年代ぐらいからカタカナ系のキーワードはすでに存在していました。これらはリクルートをはじめとする社員の意識が高い企業や『日経ビジネスアソシエ』『THE21』『プレジデント』など雑誌の影響が大きく、海外のエリートに憧れている人ほど使いがち。横文字系の言葉は、使うだけでなんとなく『デキる人になったような気になる』のがポイントでしょうね」  ただ昔からこうした定番の横文字系キーワードが存在していた一方で、「『意識高い系』の言葉がより一層存在感を増すようになったのは、TwitterなどSNSが登場し始めた’09年前後からでは」と続ける常見氏。  SNSの登場で有名人たちがより身近な存在になり、彼らのような成功者になりたいワナビーな人が急増。少しでも知名度や存在感を上げるため、Twitterフォロワーやシェアの数、Facebookのいいね!の数=自分の能力と勘違いする人が増えたという。 「ほかにもブラック企業が従業員のモチベーションを上げるため、『自分磨き』『頑張る自分』『人材』などの美辞麗句で社員を持ち上げるポエムの登場や、教養ブームによる『難しいことを知っている博識な人のほうが偉い』という風潮もある。また、『ノマド』など『会社に縛られない新しい働き方』を提唱し、セルフブランディングを勧める人が増えたことなども要因なのではないでしょうか」  最後に、こうした意識高い系ワードの「許せる・許せないの境界線」について聞いてみた。
常見陽平氏

常見陽平氏

「なんの言葉を使うかよりも『誰と使うか』が重要ですよね。例えば、学者同士だったら難しい専門用語を使って話すのは当然ですが、その専門用語を一般の人に向かって使ったら、途端に嫌みになりますよね? 本来ならば相手の理解度に合わせて、臨機応変に言葉遣いを変えるべきなのに、それをしない。そして、相手が理解していないのがわかっていても自分の優越感から一方的に話し続けてしまう。これが、人をイラつかせるポイントなのではないかと思います」  本来、言葉はお互いの意思疎通のためにうまれたツール。「意識高い系キーワード」を好む人は、改めて本来の言葉の目的を、思い出してほしいものだ。 【常見陽平氏】 評論家、コラムニスト。2015年から千葉商科大学国際教養学部の専任講師に就任予定。最新作『リクルートという幻想』(中公新書ラクレ) 取材・文/意識高い系用語を調べ隊 イラスト/大ハシ正ヤ アンケート協力/リサーチプラス ― 許せない[意識高い系用語]の境界線【7】 ―
リクルートという幻想

OBが激白!気鋭の論客がリクルートの虚像を剥ぐ

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