更新日:2015年03月24日 09:09
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東北3県で「被災した文化財」を救う人々の苦悩

3・11地震によって起きた津波は、沿岸部の文化財にも大きな被害をもたらした。「震災復興」とは、道路や建物だけではない。その地域の文化の復興も重要なのだ。 ◆前例のない被害に試行錯誤、“心の復興”を担う人々がいた
津波が直撃した陸前高田市の博物館関連施設

津波が直撃した陸前高田市の博物館関連施設。建物は残ったが、内部は完全に破壊され瓦礫の山となっていた(写真/陸前高田市立博物館)

 陸前高田市(岩手県)の旧市街から16km離れた山間部にある、’11年3月に閉校したばかりの旧生出小学校。ここで、津波で被災した文化財の「再生に向けた活動」が続けられている。教室に並べられた、修復を待つ文化財を前に熊谷賢さん(陸前高田市立博物館副主幹)はこう語った。 「これらは陸前高田が陸前高田である証し。文化財の残らない復興は、本当の復興ではないと思います」  津波の大きな被害を受けた陸前高田市の死者・行方不明者は約1800人。博物館や図書館など文化財関連施設の職員は27人中18人が死亡、1人が行方不明に。  市内の文化財関連施設は海沿いの平地にあったため津波の被害は凄まじく、博物館約23万点、図書館約10万点のほか、日本有数の貝類博物館である海と貝のミュージアムが約11万点、埋蔵文化財保管庫約12万点の計約56万点が被災した。 「当時、私は海と貝のミュージアムに勤務していました。震災の3日後の3月14日に状況を見に行って、呆然としました。破損した収蔵物が瓦礫にまみれ、泥や砂、海水をかぶった状態で……部屋のガラスが割れ、中の資料が外に流出してしまいました」(熊谷さん) ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=821909  市の対応は早く、4月1日から文化財救出の体制が組まれた。そのスタッフも11人中7人が被災者。熊谷さんも自宅を流され、仮設住宅に3年間暮らしていた。 「とにかく急いでいました。早くしなければ被災した文化財の劣化が進んでしまう。まずは安全な場所に移さなければならない」(同)  しかし、生物標本や土器の破片など小さなものまで土砂に埋もれ、瓦礫には流された住宅やクルマなども混じっている。わずかな人員で救出するのは至難の業だ。  すると、岩手県内を中心に全国の博物館や教育委員会の関係者、大学の研究者などが応援に駆けつけた。自衛隊も瓦礫を撤去し、資料を運ぶのに協力。そして6月半ばには、流出してしまった約10万点を除き、約46万点が安全な場所に運ばれたのだ。
貝類標本

貝類標本、古文書、民具など、海水を含んだ資料を水に浸けて塩分を抜く。前例がないため、試行錯誤を重ねながら慎重に行われる(写真/陸前高田市立博物館)

「ところがその後が実は大きな問題なのです。津波で被災した文化財等を再生するという作業は世界的にも前例がない。専門機関の指導を受けて試行錯誤しながら、処理のマニュアルを自分たちで作っていきました」(同) ⇒【後編】「すべての修復には1000億円、10年以上がかかる」に続く https://nikkan-spa.jp/814853 取材・文/北村土龍 ― 東北3県[被災文化財]を救え!【1】 ―
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