第5章:竜太、ふたたび(25)

 竜太はここで、バンカー側二枚目のカードの絞りの掌を停める。

 まあ、バカラを打ち慣れた人なら、ここでは絞りの掌を停める局面だろう。

 理由は、バンカー側のカードが、絵札プラスサンピン(=横ラインに3点のマークが認められるカード)だった、という部分にある。

 不安が残るとしても、悪い組み合わせではなかった。

「ハウス、オープン」

 竜太はディーラーに命じた。

 この程度の英語なら竜太でもできる。

 というか、日本の非合法カジノでも同様に言うので、これは英語というよりか日本語でもある。

 ディーラーが、ハウスを代表しプレイヤー側の伏せられたカードを開け、という意味だった。

 頷いたディーラーの掌が、プレイヤー側二枚のカードに伸びた。

「ルッルッ!」

 竜太は叫んだ。

 腹の底から力を込めて、叫んだ。

 6を出せ、という意味の広東語である。

 ちなみに、アジア・太平洋地域のカジノのバカラ卓では、北京語と広東語が共通言語となる。

 ここいらへんでは、竜太はまだまだみゆきの師匠だった。

 規則上、持ち点が6であれば、プレイヤー側に三枚目のカードは配られない。

 ということは、プレイヤー側は6が最終の持ち点で決定する。

 一方、竜太が握るバンカー側の最初の二枚は、絵札にサンピンのカード。

 それゆえ、竜太はサンピンのカードを絞る掌を中断させたのであった。

 サンピンのカードは6か7か8だから、絵札の10で、バンカー側の持ち点は6か7か8となる。

 最悪の6で「タイ」。賭金の移動はなく、プッシュ(=引き分け)。6以外なら、バンカー側の勝利。

 すなわち、プレイヤー側6ならば、絵札プラスサンピンのバンカー側に、もう負けはないのである。したがってバンカー側は、プレイヤー側の持ち点を「ルッルッ」と祈る。

 もしプレーヤー側が0から5の持ち点なら、これは三枚目で勝負となってしまう。セカンド・チャンスが生じた。

 そうなってしまえば、プレイヤー側の三枚目次第で、勝敗の行方は不明だ。

 竜太の指示を受けたディーラーが、事務的にプレイヤー側二枚のカードをひっくり返した。

「うっ、うっ、うっ」

 呻きとならない音が、竜太の喉奥から漏れ出した。

 リャンピン(=横ラインに2点のマークがあるカードのこと)の5に、モーピン(=横ラインにマークが認められないカードのこと)の2がひっついて、プレイヤー側の持ち点は7で確定。

 ヤ、ヤ、ヤバいよ、これ。

 竜太が絞りを途中で停めていたサンピンのカードが6であれば瞬殺され、7でやっと「タイ」で生き残る。

 バンカー側の勝利は、サンピンの中央上下にマークをつけて、8のカードである場合のみ。

 ベットが大きいときに、この展開はつらい。

 小賭金 (こだま)のベットでは、8を起こしてプレイヤー側の7を捲くれる自信があっても、大賭金(おおだま)勝負では、どうしても8が起きてくれないのだ。

 なぜだかは知らない。

 しかし、恐怖で圧し潰される。

 竜太の経験ではどういうわけか最悪の6を起こしてしまうケースが多かった。

 しかもここでのベットは1万ドルだ。これまで、自分のカネで90万円なんて大賭金ベットを仕掛けたことはない。

 もう竜太は、自力で正面から恐怖と向き合うしかなかった。

 そして恐怖を叩き潰す。

 自力更生、刻苦奮闘。

 毛沢東の言葉だった。

 それしかない。

 竜太は、バンカー側二枚目のサンピンのカードの絞りを再開した。

「アタマから行く」

 指が大きく震えていたが、これは仕方ない。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。