第5章:竜太、ふたたび(26)

 さて、サンピンでも、スペード・三つ葉・ハートのカードであれば、「花が向く(あるいは、花が咲く)」と呼ばれる方向がある。ダイヤにはこれがない。

 これは、それぞれのスート(マークの種類のこと)が示す形状によって、そうなってしまう。

 二点が向いている方向(=花が咲いた方向)が「アタマ」であり、一点しか向いていない方向が「ケツ」である。

 なぜダイヤのカードにはこれがないのか? トランプのカードを自分の前に並べてみて、納得していただきたい。

 この局面で、サンピンのカードを「アタマ」から絞るのか、それとも「ケツ」の方から絞るのか?

 打ち手によって、そのやり方は異なるはずだ。

 勢いをもった打ち手が、勝利を一気に決めに行くときには、「ケツ」から行く。

「ケツ」の中央下部にマークが現れたら、そのカードは8だからである。

 一方、「負けないこと」を確定したければ(それは同時に一発で「負けてしまったこと」の確定ともなりうる)、「アタマ」の方から、すなわち「花が咲く」方向から絞る。

 そこにマークが現れれば、そのカードは7か8となるのだから。(そしてマークが現れなかったら、そのカードは6であり、瞬殺される)

 一般化はできないのだろう。

 しかしこの局面なら、心の中に恐怖を抱いた打ち手たちは、サンピンのカードを「アタマ」から絞るケースの方が多いのかもしれない。

 竜太は「アタマ」から絞り起こしている。

 自信がなかったのか。

「テンガア~、テンガア、テンガァ、テンッ!」

 息を詰めている竜太は、心の中で絶叫しつづけた。

 カードの中央に翳が現れろ。点がつけ。

 あらん限りの力を指先に籠め、1ミリの数分の一ずつカードを起こしてゆく。

 ゆっくりと。本当にスローに。

 天国への道を切り拓く。地獄への穴ぼこが現れる。

 これがバカラの「シボリ」の真骨頂だ。

 しかしカードの中央部に、なかなかマークが出てこない。

 翳が見えてこないのである。

 ん、ん、んっ?

 カードの先端が、ぶるぶると大きく震えていた。

 これは竜太の掌の震えが伝達したゆえではない。極端な力がカードに加えられていたからだった。

「テンガア~、テンガア、テンガァ、テン」

 まだ出ない。まだ現れない。

 カードを三分の一ほどを絞り込んでも、中央部になにも見えてこなかった。

 駄目だ。スカ。

 息が上がったが、そういう問題じゃなかった。

 しかし、竜太は悟る。

 竜太が全身全霊を籠めて起こしていたこのサンピンのカードは、左右三点中央無点の6のカードである、と。

 広東語の語呂合わせでいわゆる「チャッシュー(=叉焼)」と呼ばれる状態、すなわち、プレイヤー側7、バンカー側6での敗北だった。

 竜太はがっくりと首を折る。

 脱力した竜太が、バンカー側のカードをディーラーに戻した。

「プレイヤー・ウインズ。セヴン・オーヴァー・シックス」

 ディーラーが読み上げ、1000ドル・チップ10枚がフロートに回収されていった。

 ああ、俺の1万ドル、俺の1万ドル。

 嘆いても、もう手遅れだ。

 すでに竜太の席前に積まれた大小さまざまなチップの合計は、3万ドルを割っていた。

 なんでここで「チャーシュー」なんじゃい。

 竜太の頭に、大量の血が昇る。そこで血液が煮えたぎった。

「俺のカネ、返せえええっ!」

 と叫びながら、バンカーを示す白枠内に、竜太は席前に残ったチップのすべてを叩きつけた。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。