第5章:竜太、ふたたび(28)

「わたしはもうちょっとつづけてみる」

 とみゆきが応えた。

 勝手にせい、と竜太は思う。

 失意と憤怒の濁流が、竜太の頭の中で渦巻く。

 真っ暗闇だ。

 このハウスにきてからわずかな時間で失ってしまった200枚強の100ドル紙幣だけが、なぜか頭の中の暗闇で舞っていた。

 キーは渡されていたホテルの部屋に入った。

 広さは80平米ほどか。

 部屋なんてどうでもよかった。ミニバーに直行する。

 ミニュチアのボトルだが、スコッチ2本、ブランデー2本、ラムとジンとウオトカが1本ずつ。

 ワインは中瓶だった。

 スピリッツ類のボトルがすべて空になり赤ワインのボトルを半分ほど殺したとき、竜太はソファにひっくり返る。

 そこで意識を失った。

 目覚めたときには、カーテンを開いたままの部屋の中に、陽光が降り注ぐ。

 頭の中で奇っ怪な音を立てる防犯ベルが鳴っていた。

 竜太の生涯、最悪の目覚めである。10代の少女を歌舞伎町のフーゾクに沈めた翌日より、悪い目覚めだった。

 頭がぎりぎりと万力の力で締め付けられる。

 ベッドにみゆきはいない。

 いや、そもそも誰かがベッドを使った形跡すらなかった。

 たぶん前夜にメイドによってターン・ダウンされた状態のまま、ベッドには皺一本ないシーツが広がっている。

 ということは?

 最悪の二日酔いの竜太の頭の中に、悪い予感がむくむくと湧いてきた。

 バスルームに駆け込み、竜太は嘔吐する。

 饐えた匂いの黄色い液体だけが便器を汚した。

 バスルームの鏡には、青ざめた顔のバカが映っている。

 なんで博奕(ばくち)で大負けしたあとには、鏡にバカが映るのか?

 それは、博奕で負ける奴はバカだから。大負けしたら大バカだからだった。

 みゆきのことは心配だが、ひとまずバスタブに湯を張る。

 熱めの湯に浸かってから、竜太はシャワー・ブースで冷水のシャワーを浴びた。

 リヴェンジ?

 いやいや、と竜太は頭を振った。

 いくらやっても傷口を広げてしまう日、というのが博奕には必ずあった。

 今日が、まさに「その日」なのである。

 戦う気力がまったく湧いてこなかった。

 そんなときにいくら足掻いても無駄なことは、竜太にもわかっている。

 真希からかっぱらってきたカネをずいぶんと失ってしまったが、取り戻そうとはせずに、最初の計画どおり、みゆきと一緒に西オーストラリア州に行こうか?

 そこで、大自然に癒される。

 放牧して、気力を取り戻す。

 かたき討ちは、それからである。

 食欲はまったくなかったが、なにかを胃の中に入れておいたほうがよさそうだ。

 竜太はカジノのVIPフロアへと向かった。

 竜太が抱いた「悪い予感」は、見事的中した。

 前日と同じテーブルの前日と同じ席に、髪を振り乱したみゆきが、まだ坐っている。

 そのとき、みゆきはモンキー・チップ(=500ドル)5枚をばしんとプレイヤー枠に叩きつけた。

 んっ、みゆきが2500ドルの勝負?

 やばい。追い詰められての「トビの高張り」なのか。

 シートのうしろから、竜太はみゆきの肩に掌を置いた。

「どうなんだ?」

「それが、いくらぐらい勝っているのか、もうわからない」。

 振り向いたみゆきが答えた。

 えっ?

 紅が落ちたみゆきの唇は、青黒い。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。