ばくち打ち
第5章:竜太、ふたたび(32)
みゆきが去ったバカラ卓に、竜太は残った。
もう手持ちのカネは、3万AUD(270万円)ちょっとである。
真希からかっぱらってきた7万ドルは、いったいどこに消えたのか?
バカラ卓に張ってあるグリーンの羅紗 (ラシャ)の上で、その大半は溶けたのである。
もう、やめるか。
いやいや、それでは新宿歌舞伎町のアングラ・カジノで生き凌いできた博奕打ちの沽券にかかわる。
沽券のみならず、今後の生活にもかかわっていた。
それに、勝敗確率50%の賭博で4万ドルをやられたということは、次に4万ドルを勝つことを示唆しているはずだった。それが、新宿歌舞伎町のアングラ・カジノで生きてきたばくち打ちの確率論というものである。
実際にそう都合よくことは運ばないにしても、竜太はそう信じる。
そう信じなければ、やっていけるものでもない。
4万AUDなら、吉野家の牛丼を大盛りで6315杯喰えた。竜太にとっては20年ちかく、すくなくとも餓死はまぬがれうる金額である。
公認カジノのVIPフロアで、調子に乗って一手に吉野家の牛丼大盛り1600杯分(=1万AUD)を賭けてしまった自分を、竜太は深く反省した。なるほどこれが「プロスペクト理論」の仕掛ける罠だったのか。
レセット。初心に戻る。
竜太はこの卓のミニマム・ベットであるタイガー(=100ドル・チップ)1枚を、そっとプレイヤー枠に置いた。
なんて言ったらいいのかわからない。それでしぐさで、フェイスアップでゲームを進行させるよう、ディーラーに命じた。
竜太はカードを絞らない。絞ると悪い数字が印刷されてしまうように感じたからである。
クー(=手)が進行した。
「プレイヤー・ウインズ。ナチュラル・エイト・オーヴァー・フォー」
あっさりと勝利。
次の手も、そしてまた次の手も。
ミニマム・ベットでの5連勝となった。
これは行きたい。いや、行くしかない。
4万ドルは、100ドル・ベットなら400回勝たないと取り戻せないのである。
でも自信がないので、ひとまずゴリラの1000ドル・ベットをツラ(=連勝)側に置く。
「バンカー・ウインズ。セヴン・オーヴァー・シックス」
カードを開いたディーラーが読み上げた。
俗に「叉焼 (チャーシュー)」というやつだ。
ツラが切れた。こりゃあかん。
爪で拾って、ベット・アップで落とす。
負け博奕の典型的なパターンだった。
それ以降、ミニマム・ベットでのテレンコシャンコの行って来いが、しばらくつづいた。
ここぞと思うところで、1000ドル・ベットを仕掛けると、その手を叩かれる。
手持ちは2万ドルを割った。
シューはフェイス・アップで進行しているので、やたらと展開が速い。
もう、いいか。
「プロスペクト理論」だろうとなんだろうと、かまわん。
もうそろそろラクにさせてくれ。
切り刻まれた敗残兵が、刺し違える相手を求め、戦場を彷徨している気分だった。
席前に残ったチップを、次手で全額行く。
この卓に坐って、まだ30分も経っていないはずだが、すでに竜太は疲れ果てていた。
それにバカラなんて、どうせ50%の勝敗確率じゃねーのか。