第5章:竜太、ふたたび(34)

 なんであそこで、やめちゃったのか。

 新参者があろうがなかろうが、あれはプレイヤー側にオール・インのケースだったのである。

 プレイヤー側のベットで勝っているので、ハウスにコミッションは引かれない。3手で、男は2万9000ドル(261万円)の勝利。

 竜太のハラワタは煮えくり返った。

「ノー・ベット」

 男がディーラーに告げた。

「えっ、やっとできたツラ(=一方の目の連勝)に、行かないのですか?」

 と竜太。

 初手から三連勝で3万ドル弱の浮き。それに、待ちに待ったツラの出現である。

 バカラ卓でこの展開で手を休むなんて、竜太は見たことも聞いたこともなかった。

「ええ、三連勝したら一手休むことにしているのです」

 へえ~っ、と竜太は舌を巻く。

「わたしの場合ツラを取っていくと、どんどんとベット額が上がってしまう。ツラはいつかは切れます。当たり前ですよね。そのツラが切れた時のベット額が大きいから、収益はたいしたものではなくなる。それでわたしは、三連勝ワン・クールとして、休みを入れることにしています。一回休んで、また改めて小さめのベットから打ち始める」

 ディーラーの腕がシュー・ボックスに伸びるのを、竜太は制止した。

「じゃ、俺が行ってもいいですか?」

「どうぞ、どうぞ」

 でも、ツラの入り口で引いてしまい、竜太は大きくは行けなかった。

 ゴリラ(=1000ドル・チップ)一頭のベット。

 ディーラーが流してきた2枚のカードを竜太が絞ってみれば、またあっさりとプレイヤー側の勝利である。

 ゴリラ・ベットでの久々の勝ちだったが、竜太の心中を後悔と憤怒と慙愧が渦巻く。

「クッソ~ッ」

 ゴリラ・ベットを勝利して悔やんでいるようでは、こりゃあかん。

 もう一度、

「クッソ~ッ」

 クッソ~を繰り返していたら、下腹がきりきりと差し込み始めた。

 大酒をかっくらってひっくり返り、前夜からなにも食べていなかった。

 竜太は席を立つ。

「次に、行かないのですか? わたしはお休み終了で、行きますよ」

 と男が言った。

「ちょっと、トイレに」

 と竜太。

 ツラが出ているときに、「クッソ~ッ」なんて、言うんじゃなかった。

 本当にクソを漏らしそうである。

「シューを進めていても構いませんよね」

 竜太の背中に男が問う。

 まさか、俺がクソをしている間、待ってろ、とは言えなかった。

 返事をせずに、竜太はトイレに駆け込んだ。

 用を済ませて席に戻ってみると、男が竜太のケーセン用紙に、前手の勝ち目を書き込んでいた。

「いや、すごいことになった。プレイヤーの13目(もく)ヅラでしたよ。いま、切れたところです」

 そ、そ、そんなバカな。

 またまた竜太は、

「クッソ~ッ」

 とつぶやいた。今度はどんなに切羽詰まっていようとも、トイレには行かないと心で鉢巻を締めながら。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。