第5章:竜太、ふたたび(36)

「座蒲団(ざぶとん)」獲得のためには、バナナ(=5000ドル・チップ)2本のベットで、100回勝たなければならないのである。

 ゴリラ(=1000ドル・チップ)での張り取りじゃ、ゴールまで遠すぎた。

 行ってみるか?

 竜太は迷った。

 行ってみよう。

 眦(まなじり)を決する。

 竜太の席前にバナナはなかったので、ゴリラ(=1000ドル・チップ)10頭を掴み上げる。

 いま行こうとしていたところに、フロートのフィル・インが入った。

 出鼻を挫かれた。

 でも、当たり前と言えば当たり前のことである。

 なぜなら、フロートの中にあった1000ドル・チップのほとんどは、竜太の席前に所有権を移行していたのだから。

 天井にはめ込まれた“アイズ・イン・ザ・スカイ”を通し監視している者から、ケイジに連絡がいき、ゴリラが新たに補充された。

 フロートのフィル・インは、いろいろと規定の細かい手続きを踏まねばならないので、時間が掛かる。

 ゴリラ・ベットの連勝で煮崩れていた竜太の頭が、その間すこし冷えた。

 賭場(どば)で「熱くなる」という現象は、むずかしいところなのである。

 熱くなったら、負ける。

 同時に、熱くならないと、大勝は望めない。醒めた人間に、ホットロールは決して訪れてくれないからだ。

 それはそうだろう。

 年収の半分、あるいは年収そのものほどのカネを、一手に賭けるのだ。それを仕留めていくから、大勝となるのである。

 醒めていたら、とてもできる行為ではあるまい。

 カジノの建物を一歩でも外に出たら、100万円って大金だ。

 竜太は、冷えかけた頭を天火の中に入れ直す。がんがんと過熱した。

 こりゃあ、行くぞおおおおう。

 眼に見えぬ敵に怒鳴った。

 竜太の理解では、博奕は気合いである。

 竜太の脳内にアドレナリンが充満する。

 漲(みなぎ)ってきた。

 この感覚が重要なのである。

 フィル・インが終わり、会計部員とセキュリティ部員が去ったバカラ卓に、竜太は眦を決し、ゴリラ10頭を叩きつけた。

 サイドは?

 まだ決めていなかった。ありゃ?

 でも、いいのである。

 プレイヤー側であろうと、バンカー側であろうと、竜太がチップを置いたサイドが勝つ。

 なぜか?

 これまでの数時間がそうだったのだから。

 プレイヤー枠とバンカー枠の中間地点に叩き付けられた10頭のゴリラを、ディーラーが不審げに眺めた。

 竜太はチップを手前に引いた。

 すなわちプレイヤー側の枠内に収めた。

 再び、なぜか?

 そんなこと、知らん。

 勝手に掌がそう動いただけなのである。

 ディーラーの若い男が、クロスさせていた両腕を左右に開いた。

「ノー・モア・ベッツ、プリーズ」

 もうあと戻りはできない。

 シュー・ボックスからカードが抜かれた。

 一枚目がプレイヤー、二枚目がバンカー、三枚目がプレイヤー、四枚目がバンカー。

 カードはそれぞれ二枚ずつに重ねられ、ディーラー前の所定の場所にひとまず置かれる。

 プレイヤー側のカードを席前に流そうとしたディーラーの動作を、竜太の甲高い声が遮った。

「バンカー、オープン」

 まずバンカー側の持ち点を示しやがれ、このヤロー。

 という意思表示である。

 なんでそう言ったのか、竜太にもわからない。

⇒続きはこちら 第5章:竜太、ふたたび(37)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。