番外編その5:知られざるジャンケット(6)

 しかしそういう「起源・出自」を持つジャンケットという業種の過去により、スタンレー・ホーはFBIの「マネロン・リスト」に載ってしまい、アメリカ合衆国に入国することができなかった。

 アメリカでのビジネスの交渉は、すべてスタンレー・ホーの息子(ローレンス)か娘(パンジー)がやっていた。

 壮年の頃のスタンレー・ホーは、よく日本に来た。

 日本でどういう人たちとどういう内容の打ち合わせをしていたかについては、それなりの想像ができても、定かでない。

 ただ、いわゆる「マカオ戦争(=ポルトガル政府によるマカオ主権の中国返還時と前後して、マカオ半島で勃発した地下社会の大抗争)」以前の『リスボア(澳門葡京酒店)』には、日本の広域指定暴力団につながったジャンケット業者が入っていたのは事実である。

 前述した「中曽根総理の裏の金庫番」・Tじいさんなどは、リスボアのジャンケット・ルームで、Y組のSをずいぶんと可愛がっていたものだ。

 またY組か、と考えてしまうのは早とちりというもの。

 マカオ政庁が与える正規のジャンケット・ライセンスをもっていない、いわゆる「サブ・ジャンケット」(サブ・ライセンスとは別物)並びに更にその下位に位置する「サブ・サブ・ジャンケット」、あるいは大手ジャンケット事業者の系列に属さない個人営業の者まで含めれば、当時(あくまで「当時」である)日本の広域指定暴力団のほとんどが、程度の差こそあれジャンケット業界と関係をもっていた、と思う。

 なぜか?

 前の方で、「大手ジャンケット事業者とカジノ事業者の契約は、原則として『勝ち負け折半』」と説明した。すなわちジャンケット・ルームでの「売り上げ」は、大手ジャンケット事業者とカジノ事業者が山分けする。

 もっと正確に書けば、カジノ事業者55%、大手ならジャンケット事業者45%の取り分となるのだが、実際上は力関係で、この数字は変化する。

 それゆえ、負け込み「眼に血が入って」しまった打ち手に、ジャンケット事業者たちがどんどんと駒を廻したのである。いわゆる「廻銭」だ。

 これは(1)ジャンケット事業者の自己資本でやる場合もあれば、(2)系列企業の金融部を通してやる場合もあれば、(3)はたまたカジノ事業者が打ち手に与える与信における保証人としてやる場合もあった。

 3600万円のクレジットでバカラの札を引いていた客が、ハウスを出るときには(たとえばハマコーの例では)5億円の借金を背負っている。なぜか? 以上の仕組みがあったからである。

 日本のジャンケット業者と地下組織のかかわりは、(もともと暴力団直営のジャンケット業者でなければ)ほとんどはこの「廻銭」回収の部分で生じた。

 「足切り(=借金返済のこと)」における「切り取り」「追い込み」を、ジャンケット業者はそれ専門の業者に委託する。

「だいたい借金って返したくない人が多いでしょ。おまけに博奕(ばくち)でつくった借金となると、シカトを決め込む奴らばっかだ。『駄目だよ。子供の大学入学資金として借りたものだって、博奕の負けで借りたものだって、借金は借金だよ。ちゃんと返済しなさいね』と、自分らが道理を諭す(笑)」

 と、ずいぶん昔に、OZ(=オーストラリアのこと)のカジノでよく見掛けた、広域指定暴力団ではなかったが、関東では武闘派として鳴らした一本独鈷(いっぽんどっこ)の組織のプラチナが、わたしに教えてくれた。(つづく)

※次回の更新は7/19(木)です

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。