番外編その5:知られざるジャンケット(9)

 さて次回からは、ジャンケットにかかわる「物語」を書き始める。わたしはこのテーマを、フィクションとして書くつもりである。

 ノンフィクションとして書くと、危なっかしい部分、伏せなければならない部分が多くなりすぎて、読者にとっては意味不明、それをいちいち説明していくと収拾がつかなくなってしまう、とわたしが危惧するからだ。

 15年ほども昔になるが、

「人を殺すのは、簡単なの。難しいのは、その死体の処理方法なんだよ。だから俺らは人を殺さない。丸裸にひん剥いて豚舎に放り込むだけ。これだと豚が骨まで喰ってくれる」

 と、酒席でわたしに教えてくれたのは、主にサブ・ジャンケットあたりで「足切り」請負いをやっていた珠海(ジュハイ)の「切り取り屋」Yだった。

「でも、殺してしまえば、貸したカネは返ってこないだろうが」

 とは、わたしの当然な疑問。

「物騒なこと、言わないでください。俺らは人を殺さない、と言ったばかりでしょ。そいつは豚に囲まれて、勝手に死んだんです。たしかに豚に喰われた奴からはカネは戻ってこないんだけれど、風の噂が流れて、他の借金返済を渋ってた連中が、我先にとカネを届けてくれる」

 いやはや。

 でもそういえば、「日本人初の鯨賭人」と呼ばれた「サムライ・カシワギ」こと柏木昭男が、河口湖畔の自宅で、全身十数箇所を刺され抉られちょん斬られた惨殺体となって発見されたことがあった(1992年1月3日)。

 そのニュースが流れると、それまで日本でシカトを決め込んでいた連中が慌てて「アシ切り」に動いた、という噂話はきいたことがあった。似たような事例だったのだろうか。「みせしめ」のための殺人である。

 この珠海の「切り取り屋」Yは、牌九(パイガオ)という特殊なゲームを専攻し、その昔、わたしとは同卓することが多かった。それのみならず、二人で共同銀行(ジョイント・バンク)を張ったこともあった。二人の資本を合わせ(荘家を取りたくても一人では資金不足の状態のときに起こる)、張り子たちの賭金(たま)を殺しに向かうのである。

 ジョイント・バンクを張ると、一時的にはせよ「運命共同体」となるので、それなりに親しくなってしまう。勝負が終わり、二人で深夜の街に繰り出して、酒食を共にすることも多かった。

 深圳(シンセン)の出身だが、努力家なのかなかなか英語がうまかった。この男には、ジャンケット関連で過去に起こった闇社会の出来事を、いろいろと教えてもらったものだ。

 いや、それだけではなくて、マカオでの「生き方」もわたしに語ってくれた。唾棄し回避すべきこともあった。参考になる部分もあった。ジャンケット業者の成れの果て、みたいな人物にも紹介された。以前は権勢を振るっていたのだろうが、まあ、人生なんて、一本道じゃないわなああ。

 ジャンケットとは、そういう世界である。いや、そういう世界だった。

 残念ながら、わたしの技量と器量と能力では、ジャンケットをノンフィクションとしては、とても描き切れるものでもなかろう。

 繰り返す。次回からわたしが書くことは、フィクションである。

⇒続きはこちら 第6章:振り向けば、ジャンケット(1)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。