第6章:振り向けば、ジャンケット(2)

 日本での山口組=本田会の代理戦争の様相を呈した「仁義なき戦い」広島戦争は、死者17名・負傷者26名を数えた大抗争だった。

 しかし、『マカオ戦争』における死者・負傷者の数はそんなものでは済まなかった。この抗争での死者数にかかわる正確な統計はないのだが、一説には、行方不明者まで含めれば、軽く100人を超した、と言われている。負傷者となると、数知れず。

 白昼の街頭で自動小銃を使った銃撃戦が起こった。

 衆人環視のもと、カジノの入り口で大口の打ち手が銃殺される。

 市場の駐車場に、まだ湯気を立てている死体が積み上げられた。

 それまでのマカオの地下社会には、(都市の安全神話を維持するために)「殺したら海に戻す」という「暗黙の合意」があったそうだ。しかし、あっという間にそんな合意は反故にされた。

「暗黙の合意」が反故にされたのは、死体処理にかかわるものだけではない。

 新しい暴力組織の参入によって、地下社会=植民地政府=司法の「鉄のトライアングル」と呼ばれた権力との濃密な癒着・腐敗の関係も破棄された。

 1998年初頭、治安維持が混迷をきわめたさなか、当局が「交通整理」的な調整に乗り出す。約400人前後の地下社会の住人たちが、一気に逮捕・収監されたのだった。

 これに対して各暴力組織も、当局に対した反撃を開始した。

 それまでは地下組織間だけの四つ巴の抗争だったはずのものが、当局も含めた五つ巴の戦争となったのである。

 1998年3月、カジノ利権を調整・監督する「澳門博彩監察協調局」の監督官が『14K』(と言われている)のヒットマンにより暗殺された。これが地下社会勢力が当局に突きつけた全面戦争突入への布告だった。

 この3月からの6週間ほどで、行政側の職員が数名暗殺されている。5月には、ついに警察幹部の乗る車が爆破された。

 この一連の事件の首謀者として、『14K』の大ボス・尹国駒(通称・「歯なしのコイ」。コイは「駒」の広東語読み)が逮捕される。しかし、「歯なしのコイ」逮捕のニュースが流れると、その日だけで25発もの手りゅう弾が、当局関係各所に投げ込まれたのであった。

 尹国駒はいったん拘置所に収監された。待遇が悪かったのかそれとも気に喰わなかったのか、のちにその拘置所の職員まで銃撃されて死亡している。

 尹国駒裁判を担当した地元の裁判官は身の危険を覚え、裁判官の職を投げうって、逃走した。

 困り果てた植民地政庁は、宗主国であるポルトガルから裁判官を招き、公判を維持しようとした。この裁判官につけるボディガードまで、わざわざポルトガルから呼んだそうだ。つまり警察機構はまったく信頼されていなかった。当時のマカオにおける当局の腐敗ぶりを想像できるというものだろう。

 案の定、公判では警察幹部を含む行政職員たちのほとんどが報復を恐れ、証言台に立つことを拒否した。それゆえ、尹国駒にかかわる数多くの殺人および殺人教唆容疑は立証不可能となり、立件されていない。

 ポルトガル人裁判官による公判は、翌1999年11月(施政権返還の1か月前)に結審する。殺人および殺人教唆罪ではなく、「組織暴力処罰法」違反で、最大の懲役15年の有罪判決が下された。数日後にこの裁判官は、あとを追われるようにしてリスボンに逃げ帰っている。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。