ばくち打ち
第6章:振り向けば、ジャンケット(3)
1999年11月、尹国駒はコロアン地区の路環監獄に収監された。同年12月20日、マカオの行政権は北京政府に返還される。
北京政府によって「行政特別区」に指定され「一国二制度」の行政システムとなったといえども、北京政府による強権的警察権行使を恐れた地下社会は、ここで当局相手に布告した戦争から撤退した。
その手打ちにおいて主導的役割を果たしたのが、北京政府公安部と深い関係があり、大陸でも手広く活動していた『新義安』という『香港三合会』の有力組織だった、と言われている。最盛期の『新義安』には、20万人の会員がいたというのだから、その組織の巨大さもわかろうというものだ。
しかし、当局と和解が成立しても、そして「歯なしのコイ」が「社会不在」になろうとも、地下社会の「仁義なき戦い」は血に塗られながら継続した。それはそうであろう。この戦争における基礎的要因は、各地下組織間の「利権の奪い合い」という経済問題にあったのだから。
カジノ事業者本体は別格だが、マカオでカジノ利権の最大のものは、「ジャンケットの権利」と「カネ貸しの権利」の部分にある。
ここでの「カネ貸し」とは、世界中のカジノならどこにでも居る「ローン・シャーク(カネ貸し鮫)」を意味した。
博奕で負け込み「眼に血が入って」しまった連中に、高利のカネを貸し付けるのが、カジノにたむろす「ローン・シャーク」たちのビジネスだ。
「トイチ(10日で一割の金利)」なんてのは可愛い方で、「トーサン(10日で三割)」「トーゴ(10日で五割)」とか、ひどいのになると「アケイチ」まであった。
「アケイチ」というのは、日本の非合法賭場では通称「カラスガネ」と呼ばれるものである。烏がカーッと鳴けば(つまり、夜が明けたら)一割の利息が複利でついている。
そんなものに手を出したら、身の破滅。
それは重々承知の上なのだが、負け込み脳みそが煮崩れた賭博亡者たちには、もうどうにも止まらない。頭を下げてでも手を出してしまうのである。
「ジャンケット」と「ローン・シャーク」という、カジノ利権における主要部分が未調整のまま、マカオの行政権は北京政府に返還された。それゆえ、北京政府による強権行使の恐れがあるにもかかわらず、死体がごろごろと転がる「仁義なき戦い」は継続されたのだった。
ちょうどこの時期に、30歳になったばかりの都関良平(とぜきりょうへい)は、日本のジャンケットとしてマカオに送り込まれている。
ジャンケットの経験などまったくなかったのに、なんでそんなことになってしまったのか?
あとになって振り返れば、しごく当然な理由によっていた。
地下組織間の「仁義なき戦い」とは、そもそも「ジャンケットの権利」と「ローン・シャークの権利」というカジノ利権に端を発していた。
ところが「マカオ戦争」における突出した前線となったジャンケット・ルームから、日本の広域指定暴力団につながったジャンケット業者が、なりふり構わず逃げ出した。
その過程で日本関係者が三人ほど海に浮いた、という噂もあったが、真偽のほどは定かでない。
当時(あくまで「当時」である)、東アジアでの「マネー・ロンダリング」におけるひとつの有効な機能を担ってきたジャンケットのシステムに、こと日本関係に関する限り、ぽかりと大きな穴が空いてしまったのである。(つづく)