ばくち打ち
第6章:振り向けば、ジャンケット(4)
強い南風が吹いていた。
都関良平(とぜきりょうへい)は、そのホテルの30階にあるオフィスの大窓から、久しぶりにからりと晴れ上がった半島側を眺めている。
スモッグは吹き飛ばされたのか。
今日も外は暑そうだった。
ホテルのすぐ前を通る史伯泰海軍将軍馬路を越せば、そこはもう南彎となる。
珠江から流れ込む水の影響なのだが、ここから眺める海の色は、いつも薄茶色に濁っていた。
タイパ島との海峡を挟んで、グランド・リスボアがその威容を誇る。
良平が初めてマカオに来たのは、行政権がポルトガル政府によって、北京政府に返還された1999年末である。
その頃、オールド・リスボア(澳門葡京酒店)の南側は、すべて海だった。
タイパ島側の北端にあった入江には、水が見えないほど無数の白鷺が住んでいたのだが、リスボア手前の海が埋め立てで消えた頃、白鷺も消えてしまった。
時代が変わったと言われれば、まったくそのとおりなのだろう、と良平は思う。
2000年のマカオの一人当たりのGDPは、1万5000USDにも満たなかった。当時、日本のそれは3万8500USDである。つまりマカオの2倍以上あった。しかしわずかその10年後の2010年に、日本は一人当たりのGDPでマカオに追い抜かれた。
それから更に8年後の現在(2018年)、日本のそれは4万0800USD、一方マカオのそれは8万3800USD、つまり一人当たりのGDPでは、日本はマカオの二分の一以下になってしまった。
なんでそんな魔法みたいなことが起こったのか。
理由は、ただひとつ。
ポルトガル政府から行政権を返還された北京政府は、「一国二制度」として、マカオにあるカジノ事業の存続を認めた(大陸での『賭博禁止法』は存続された)。
それだけではなく、マカオにおけるカジノ事業の権利を、それまでのSTDM社(澳門旅遊娛樂股份有限公司)の独占制から、競争入札制に改めた。
たったそれだけで、この奇蹟が起こったのである。
「社長、宮前さんをお迎えに行ってきます」
優子が言った。
「社長、と呼ぶのはやめてくれ」
良平は振り向いた。
「失礼しました。でも、『都関さん』と呼ぶのは、なんだか馴れ馴れしくて」
「それじゃわたしもあんたのことを『山縣優子取締役』と呼ぶぞ。『良平さん』でいいよ」
優子は六週間ほど前にマカオに来たばかりだ。
東京にある外語大の中国語学科を卒業し、ホテル業界に勤めていたのだが、その勤務内容のつまらなさにあきれて、2年間で退職した。
職探しの間、西麻布にあるクラブでアルバイトをやっていて、良平に拾われたのだった。
エキサイティングでスリリングな仕事がしたい、と言っていた。
エキサイティングでスリリングなだけじゃなくて、すこしデンジャラスだぞ、と良平は釘を刺しておいたのだが、それでもいい、ということで即決した。
優子が大学で専攻したのは北京語だそうだが、それでも広東語圏なら、まあまあ読み書きくらいはできるだろう。北京語とバイリンガルなマカオの住人も多い。
それにしても日本には、男などとは比較にならないぐらい決断力をもつ若い女たちが増えた、と良平は思う。
あの外語大を卒業しているくらいだから、それなりに頭の働きもいいのだろう。
鼻すじのとおったちょっとした美人である。その腰のくびれなどみていると、そそられてしまう。しかし、良平とは男と女の関係ではなかった。
法人登記上の問題で、まだ25歳だが、最初から役員として入社させている。
代表取締役社長が良平で、執行役員が優子。
社員は居ない。それだけの会社だった。