ばくち打ち
番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(27)
行く、と言っても当時のわたしは一手に最大で5万HKDくらいしかベットできなかった。資本が足りない。
同席した他の打ち手たちも、ここが勝負と読んだようだ。
5万ドル・10万ドルと張っていく。
紫の羅紗(ラシャ)の上には、総額100万HKDを越えるベットが載った。
受けきれなくて庄家流れ、と思ったら、おっさんが懐(ふところ)から、なにやら書類を取り出し、中盆がそれをすぐにチップとビスケットに換えた。
さて、勝負である。
札撒きのディーラーが、4つの骰子(さいころ)が入った鉄製のカップを振ろうとした、まさにその時である。
わたしの隣りに坐っている、見覚えがある怖い顔の男が、低いがどすの利いた声で、言った。
「待てよ、待ってろ」
日本語だった。
そして100万HKDの赤色ビスケットを、自分のボックスに叩きつける。
ええ~っ? 潤ちゃんなの。
わたしは椅子からコケそうになった。
でも、この勝負が終わるまで、その動揺も狼狽も表わさない。大一番の場の呼吸を乱してはいかんのじゃ。
結果は、「庄家」が「眼に血が入っていた」にもかかわらず、踏ん張った。
「庄家」のおっさんは、イー・ウォンという手牌である。
低手は2というバナナながら、高手に役(やく)のウォンをもち、全ボックスと生(チャオ)のプッシュ(=引き分け)の組み合わせ。
幸運だったのか不運だったのか不明のところ、「庄家」のおっさんはバンク・マーカーを札撒きディーラーに投げ返した。もう狙うわけにいかない。
「潤ちゃんだったの?」
「ヒロシさんか。どうもそうじゃないかと感じていたけど、怖い顔のおじさんにフシつけてもいけない、と思って」
と潤ちゃん。
断言できる。あんたの顔の方が怖い(笑)。
博奕は中断だ。
わたしたちはハコを出て、道路を隔てた火鍋屋で20年振りの再会を紹興酒で祝った。
そこで聞いた潤ちゃんの話は、危なっかしくて書けるものじゃない。
いや、それ以降もマカオやOZ(1991年に公認カジノに『牌九』が導入された)で聞いた潤ちゃんの軌跡も書けない。
ただはっきりとわかったのは、
―-日本とは全体がグレイ・ゾーンの国、
ということだった。
* * * *
潤ちゃんも無事に再登場したところですが、いろいろな事情が重なり、突然ですが、ここでこの連載をしばらく休止いたします。
十数年にわたる連載でしたが、休んだのは5週だけでした。
よくやった、と自分を褒めてやりたい心境です。
2027年くらいまで、日本には公認カジノがオープンしないでしょう。
そしてカジノができたとしても、それは巨大なパチンコ・ホールみたいなものになるのではなかろうか、とわたしは危惧します。
2018年に国会で成立した『IR実施法』(「特定複合観光施設区域整備法」の通称)に記された文言に忠実であれば、そうならざろう得ないからです。
中国・韓国そして東南アジアから大口の打ち手が来られないようであれば、そもそも「IR議連」がモデルとしているシンガポール型のカジノは成立しません。それゆえラスヴェガス系の大手カジノ資本は、MGMを除きすべて日本プロジェクトから撤退する意向を表明しました。
MGMは、有利子負債が大きすぎて、退くに退けない。ペダルを踏み続けないと、企業自体が傾いてしまう可能性があるからです。
まあ以上が自明となり、ぎりぎりの段階で、日本の警察は「パチンコでの三店方式」のような詐術を編み出してくるのかもしれません。しかしそれでは、日本のパチンコ資本による、「テーブル・ゲームもある巨大なパチンコ・パーラー」ができるだけではなかろうか、とわたしはきわめて悲観的です。
6~7年先の話なので、どうなるかは不透明です。
おまけに日本の政治は、利権がすべてに優先します。汚職、贈収賄、利益供与といったところで、どんでん返しが起こるかもしれません。
マカオやシンガポール経由でわたし宛てに入ってくる情報によれば、日本にシンガポールあるいはラスヴェガスにあるようなメガ・カジノは、未来永劫できないだろう、ということでした。
本来、塀の内側でしゃがんでいなければならないような連中が、立法・行政・司法にかかわらず、日本の権力機構の中枢を握っているからです。
ここで愚痴を並べても詮無いこと。
コロナ禍あるいは迫りくる財政破綻等で、あまりめでたくもない新春かもしれませんが、よろしくお迎えください。