ばくち打ち
番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(26)
ワンボックスのベット枠に2万HKD、3万HKDと積み上げられている。
したがって庄家は、賭金総量をカヴァーしなければならないので、約20万HKDを卓中央に供出していた。
たった一手に、当時のカネで、800万円前後がその所有者を替えた。
当時のマカオなら、800万円もあれば、結構なウオーター・ヴュー付きの一軒家が構えられた。
まさに、刺さなければ刺される、殺さなければ殺される、という真剣勝負が『牌九』私人卓で繰り広げられていたのである。
不思議なことに、勝負卓は過熱していない。
むしろ冷ややかな空気が卓を包んでいた。
ああ、これが「殺気」というものだ、とわたしは悟った。
この遠征での成績は散々だった。
怖くて、手が縮こまっている。
したがって、行くべきところで行けない。
負けて当たり前だった。
初体験で惨敗したにもかかわらず、しかしわたしはマカオでの牌九勝負に魅せられた。
以降、年に4~5回、訪れた。
80年代後半に入ると、わたしもマカオの『牌九』卓で勝つことが多くなっていく。
戦法は、ただひとつ。
負け込んだ打ち手の眼に血が入り、起死回生というかヤケクソというかで「庄家」をとったときに、攻め込むのである。
手負いの獣は、狙われる。
それは『牌九』私人卓で同席する打ち手たちも同様だ。
マキシマム・ベットの制限は、ない。街角の商店のおっさんみたいな人が、一手で5万HKDなんて平然と賭けていた。
それまでは、ミニマム・ベットでじっと凌いでいたわたしだって、そういう局面では腹を括って行く。
びびったら、負けだ。勢いがいいときには「庄家」もとるようになった。
忘れもしない、1990年の中秋節である。
『リスボア』の『牌九』私人卓は混雑していた。
万ドルチップがどかんと積み上げられ、そして一手ごとにその所有権が替わっていく。
わたしの隣りのボックスに坐っている、打ち手の顔に見覚えがあった。
盛り上がった肩の筋肉。顎に古傷があり、額には横にくぼみがあった。鉄パイプの水平打ちを喰らった跡なのか。
怖い顔である。これだけ印象深い顔なのに、どこで見知ったものなのか見当がつかなかった。
片言ながら、広東語も話した。場慣れしている。
それが癖なのか、器用に片掌でチップをシャッフルした。その手首にきんきらきんのロレックスが光る。
まあ、国籍は不明ながら、そのスジの人であろう。
あまりかかわりをもたないほうがよろしい、とわたしは考えていた。
大口のおっさんの一人が、突然崩れた。
「散家」で5万HKDのベットを落とし、次の手で10万HKDのベットをあっさりと失った。
おっさんの頭に血が昇っていく。
同席しているだけで、それがわたしにはわかる。
「バンクッ!」
おっさんが叫んだ。「庄家」をとりますよという意志表示である。
バンク・マーカーがおっさんのボックス前に移動した。
さて、攻め頃だ。
それまでミニマム・ベットで我慢していたわたしも、ここは行く。
ここで行かなきゃ、いつ行くんだ。(つづく)