聖徳太子 本当は何がすごいのか【第5回:親鸞と聖徳太子】

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四天王寺の親鸞聖人像(大阪)

親鸞と聖徳太子


 日本の仏教のさまざまな宗派で、聖徳太子は非常に尊敬されていました。

 鎌倉仏教の一つ、真言律宗の僧で奈良の西大寺を復興したとされる叡尊の『感身学正記』という自叙伝には、寛元4年(1246年)に国家の安泰を奉るために太子廟をつくり、菩薩戒(大乗の菩薩が授受する戒め、悪をとどめ、善をおさめ、人々に尽くすという三つの面を持つ)を多くの人々に授けたことが書かれています。また、建長6年(1254年)には、西大寺で聖徳太子を祭る太子講をはじめ、太子奉賛の漢語の奉賛文を読み上げて太子の功績を称揚し、康元元年(1256年)には法隆寺東院で授戒をするなど、太子に対する祈りの念を強く表しています。

 また、親鸞は浄土真宗を起こしたときに聖徳太子を非常に高く評価していますが、それは次のような出来事に由来しています。

 親鸞は29歳まで比叡山で修行していましたが、下山して聖徳太子の建立した六角堂(現在の京都市中京区)で100日間の参籠に入ります。六角堂の本尊は救世観音です。その95日目の夜明けに救世観音が姿を変えた聖徳太子が夢の中に現われて、親鸞に「女犯偈(にょぼんげ)」という偈を授けます。

「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」
(行者が前世の因縁によって女性と交わることになるならば、私が女性の身となって交わりましょう。一生の間、清らかにして、臨終のときには極楽に生まれるよう導いてあげましょう)

 さらに、「此は是我が誓願なり善信この誓願の旨趣を宣説して一切群生にきかしむべし」(これは私の誓願である。あなたはこの誓願の趣旨を一切の人々に説き聞かせなさい)と親鸞に告げました。この「六角夢告」といわれるお告げを受けた翌日、親鸞は法然を訪ね、そこから100日にわたり法然の下に通って話を聞き、入門を決心するのです。

 親鸞聖人の内室の恵信尼は、弘長3年(1263年)の82歳のときから文永5年(1268年)の87歳のときまでの6年間に、当時暮らしていた越後から京都に住む末娘の覚信尼に8通の手紙を送っています。

 恵信尼は、その書簡の中で親鸞聖人の夢の中に聖徳太子が立って偈文を唱えたことに触れ、「行くべき道をお示しくださった。念仏を唱えるということでさえも聖徳太子から学んだ」ということを述べています。これは聖徳太子という存在が、日本の仏教徒にとって釈迦のような存在になっていたことを示しているといってもいいでしょう。

(出典/田中英道著『聖徳太子 本当は何がすごいのか』育鵬社

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本の戦争 何が真実なのか』(いずれも育鵬社)ほか多数。

聖徳太子 本当は何がすごいのか

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