【連載小説 江上剛】愛人は若いほうがいい。そろそろ潮時なのか……。墓の話題のせいか、麗子はいつになくベッドで冷めていた 【一緒に、墓に入ろう。Vol.6】

六〇歳代の役員、もう一花咲かせるためにもこのまま銀行に残らねば……

今、麗子と問題を起こすわけにはいかない。このまま騙し騙し付き合うしかない。 別れ話がこじれで刃傷沙汰にでもなれば大変だ。これまでなんとか傷つかずに過ごしてきた銀行員人生が暗転してしまう。 「まさか」 ゾクゾクと背筋に寒気が走った。今は、不倫相手を殺すのにナイフも毒薬も何もいらない。インスタグラムやツイッターなどSNSと言われるインターネットサイトに俊哉の写真を掲載すればいいだけだ。 先日、テレビを見ていたら、警察庁のキャリア官僚が、愛人の靴の匂いを嗅いでいる写真をインスタグラムに投稿されていた。 別れ話がこじれたためだ。どうみても変態だ。彼は、将来の警視総監候補だったようだが、靴嗅ぎ官僚となって一発で失脚だ。 よかったんじゃないか。あんな変態が警視総監になったら世の中大変なことになる……。待てよ、ひょっとしたら官僚でトップに登りつめるような奴は変態的なところがあるのかもしれない。 俺も、と俊哉は思う。麗子の豊満な胸の中に顔を埋めて、頭を「いい子、いい子」と撫でてもらうのが好きだが、あれも変態の内だろうか。 まさか、写真は撮られていないだろうな。こう見えても案外警戒しているから、馬鹿な写真は撮られていないという自信がある。しかし眠っている時などは分からない。 確認しようかな。 やめておこう。余計なことをして藪蛇になったら、それこそ大変だ。とにかく今まで通りの関係を維持できるように最大限の配慮をする必要がある。腐れ縁と思ってもめ事を起こさないことだ。 なぜって? そりゃ頭取の芽が全くないとは言えないからだ。 木島頭取は六十五歳、俊哉は六十二歳。たった三歳の差だ。これではほぼ頭取の芽はない。 ましてや四井安友銀行は合併銀行だ。四井銀行出身の木島の後は、安友銀行の出身者になるだろう。それに時代は若返りを求めているから、今、五〇歳代の取締役でもない常務執行役員から選ばれる可能性が高い。 俊哉が頭取になる可能性は今のところゼロだ。しかし、世の中何が起きるか分からない。突然、木島が死ぬかもしれない。そうすると最も気心の知れた取締役と周囲からもみなされている俊哉が後任に指名されないこともない。 俊哉は木島に他の大手銀行のようにカンパニー制を採用するように提案している。 国内営業や国際営業など各分野を会社にしてしまい、全体をホールディングカンパニー、いわば持ち株会社が支配する形だ。 今、多くの会社で採用されている企業形態だ。 木島は、カンパニー制にすると各会社が独立性を持つことになって指示が浸透しないのではないかという懸念を持っているが、合併企業には相応しい企業形態だと俊哉は説明している。 なぜなら主要なポストが増え、バランス人事が容易になる。それに木島がホールディングカンパニーの社長に就任すれば、少なくとも七〇歳までは安泰だろうと鼻薬を嗅がせた。 なぜ安泰かは判然としないが、それぞれのカンパニーの社長の定年を六十八歳とすれば、その上に君臨するわけだから七〇歳が適当だという、いかにも適当なアイデアだ。 しかし木島はそれに関心を示している。この提案を実行すれば、まだこの先、五年もトップに君臨できるのだ。こんなにうれしいことはない。 もしカンパニー制が採用されたら、俊哉はどこか一社の社長にしてもらおうと考えている。それが銀行カンパニーなら、まさに頭取ではないか。 ポストが多くなれば合併銀行であってもいがみ合いが少なくなる。これは知恵だ。そうなれば俊哉のような六〇歳代の役員ももう一花咲かせるチャンスがある。 仕事は嫌だが、銀行に残らないと愛人の一人も養えないではないか。 「着きました」 運転手が物憂げに言う。 タクシーが俊哉のマンションの前に停まる。料金の支払いを終え、車の外に出る。 途端に冷たい風が頬を打つ。 妻ともマンネリ、愛人ともマンネリ、仕事もマンネリ……。 「ああ、嫌だなぁ」 マンションのセキュリティコードを指先でタッチすると、ガラスドアが静かに開いた。 <続く> 江上剛作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)
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