さらばエアーズロック ある死亡事故の思い出(続)

エアーズロック1

エアーズロック(ウルル)

娘さんの愛が込められた父親の死化粧

 その夜、ご遺族を中華レストランに案内しました。すると、シドニーから来たワーホリ中の娘さんから、病院の白衣を着ているお父様を日本から家族が持ってきた寝巻に着替えさせたいとの申し出がありました。私は現地で担当している巡査に連絡をとって、それが可能か問い合わせました。答えは、可能だが、そのための準備が必要なので、夜遅くに病院を訪れなくてはならないとのこと。そう伝えると、奥様は断りましたが、娘さんは自分一人でも行くと強い決意で答えました。  彼女はお父さん子のようで、大好きなお父さんからもらった絵葉書を私に見せてくれました。外国で暮らす娘を気遣う、父親の優しさが溢れた葉書でした。私は彼女の気持ちに応えるべく、車を手配し、彼女を乗せて夜の病院へ向かいました。  病院に着くと、巡査が私に手招きをして、小声で言いました。  「着替えなんだけどね、お父さんは解剖の後で、体のあちこちに縫い目がある。体を起こすと、そこから出血する可能性があるんだ。彼女、大丈夫だろうか」  「本人に聞いてみましょう」  その旨を率直に娘さんに告げると、彼女は間髪入れずに答えました。  「大丈夫です。私は看護婦なんです。父を綺麗にしてあげたいと思います」  迷う余地はありませんでした。さっそく作業が始まりました。私は部屋の外に立って、中を見ないようにしていましたが、一瞬、肩ごしに中の様子が見えました。暗闇の中に、明かりのついた部屋が浮き上がって見えたのです。二人のオーストラリア人男性に手伝われながら、娘さんが寝巻に着替えたお父さんの顔に手際よく化粧をしていました。今でもその光景が目に浮かびます。  一行はシドニーに飛び、ご遺体はシドニーの火葬場で荼毘に付されました。  亡くなったご主人はまだ50代で、よく中禅寺湖の周りを歩いて一周するような壮健な方だったとのことです。娘さんはシドニーで再会したお父様を中華街に連れて行き、お腹いっぱい食べてもらったそうです。最後の二人だけのデートでした。  その後ひとりエアーズロックに向かったお父様でしたが、そのような元気な方でしたので、たいていの人が食べられない、早朝に出された朝食セットをペロリと平らげて、意気揚々とエアーズロック登山に挑んだのでした。しかし、夜明け前の岩山登山はきついものです。血液が胃に回っている状態の早朝登山で貧血をおこし、卒倒して後頭部を岩肌に強打してしまった模様でした。近くにいたオーストラリア人男性が、人工呼吸をして蘇生を試みてくれましたが、成功しませんでした。

2019年10月26日から登山禁止に

 娘さんはワーホリを中断して帰国したように記憶しています。一度、お礼の手紙を頂きました。あれから20年の歳月が流れました。今頃彼女はふとん屋さんのおかみさんをしているのでしょうか。  そのエアーズロックも、ついに来年2019年10月26日から登山禁止になるそうです。わずか比高335メートル(標高868メートル)ながら、多くの命が失われた聖地エアーズロック。今はウルルと呼ぶべきなのでしょう。今回の死亡事故でも、多くの方が悲嘆にくれたことは間違いありません。これ以上犠牲者を出すべきではありません。聖地は本来の姿に戻して、眺めるだけにした方がいいでしょう。  ある日突然に、灼熱のレッドセンターで遭遇した死亡事故。そして出会いと別れ。あの病院の夜のことを一生忘れることはないでしょう。  さらばエアーズロック! 文:山岡鉄秀(やまおか・てつひで) 1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。2014年、オーストラリアのストラスフィールド市で中韓反日団体が仕掛ける「慰安婦像設置」計画に遭遇。子供を持つ母親ら現地日系人を率いてAJCN(Australia-Japan Community Network)を結成。その英語力と交渉力で、非日系住民の支持を広げ、圧倒的劣勢を挽回。2015年8月、同市での「慰安婦像設置」阻止に成功した。現在、公益財団法人モラロジー研究所道徳科学研究センター人間学研究室研究員。AJCN Inc.代表。『日本よ、情報戦はこう戦え!』(育鵬社)を刊行。
おすすめ記事
おすすめ記事