ニンジャバットマンまで登場! なぜ日本の「忍者」が海外で進化を続けているのか?

<文/橋本博 『教養としてのMANGA』連載第1回>

YO・NIN・MANってなに?

 日本が世界に誇れるオリジナルコンテンツを3つあげよ、って言われたら何を思い出すだろうか。ここでいうコンテンツというのは娯楽のために創作された内容のこと。ヒントをあげよう。 その1:それは江戸時代末期から日本で独自に発達したコンテンツである。 その2: 今では日本を代表するサブカルチャーとなっている。 その3: 海外では日本語のままアルファベットで表記されることが多い。  さて何だかわかるかな?  答えはYOKAI、NINJA 、MANGAの3つ。私はこれらを合わせてYO・NIN・MAN(ヨーニンマン)と呼んでいる。あんまりピンとこない人はこんな風に想像してみて。妖怪が忍者の格好をして敵をなぎ倒していくスーパーヒーローが登場、それが日本を救う「ヨーニンマン」、なんかカッコいいネーミングでしょ。  一見するとあまり関係のなさそうな妖怪、忍者、マンガを3つまとめるといろんなことが見えてくる。というわけでこれからは3つを合わせてヨーニンマンと呼ぶことにしよう。「ヨーニンマンが日本を救う!」なんちって。ヨーニンマン、やっぱ凄かばい。

「日本の文化って底が知れない」

 今の日本はいろんなところですっかり自信喪失に陥ってしまっている。でも世界は日本人が思いもよらないところで日本の文化を評価しているんだ。それが、日本が世界に誇れるオリジナルコンテンツ、つまり妖怪、忍者、マンガというわけだ。  日本にやってくる外国人たちは日本人以上に日本に詳しい人たちが多い。いかにも妖怪が出そうな山奥のひなびた土地を訪ねて日本の原風景を探しに来る人たち。本物の忍者に会えることを信じて伊賀や甲賀を訪ねて来る人たち。日本中のマンガが集まっている場所があると聞いて京都や東京の施設を訪ねて来る人たち。  知り合いのアメリカ人の話をしよう。若い頃に『科学忍者隊ガッチャマン』(英題:Battle of the Planet)を見て日本のアニメにはまり、忍者になりたくて近くの忍術道場に通うようになった。どうしても日本に行きたくてマンガで日本語を学び、日本に来たら鬼太郎に出会って、今ではすっかり妖怪、忍者、マンガの研究家になった。  彼は言う。「日本の文化って底が知れない。どうして日本中に妖怪がいるの? 忍者マンガがどうしてこんなにあるの? こんなにすごい文化があるのに日本人はなんで気づかないの」  外から見るとお宝の山に囲まれている日本なのに、その価値に気づいていない日本人へのもどかしさが伝わってくる。

アメリカ人の井島ワッシュバーン・パトリック氏(イラストレーター/アニメーター/漫画家、翻訳通訳家)の研究報告の風景

 彼との出会いが私のヨーニンマン研究のヒントとなった。私も妖怪、忍者、マンガのとりこになってきたが、この3つをまとめて考えたことはなかった。よく考えてみるとこの3つにはこんな共通点があることに気づく。 ① 武士を中心としたメインカルチャー(主要文化)ではなく、上方や江戸の庶民の間で作り上げられた「サブカルチャー(周辺文化)」であること。これらは史実にこだわらず自由な発想で生み出されたものが多い。 ② 様々な造形で作り出された妖怪、黒装束をまとい口に巻物をくわえた忍者、擬人化された動物、極端にデフォルメされた人物が登場する漫画において、独自の「キャラクター」が立ち上がっている。 ③ 都市で発達した文化が地方に伝わることによりオリジナルが変容していって「ダイバーシティ(多様性)」を獲得していった。地方独自の妖怪、各流派の忍者、地方版漫画などが生み出された。  この3点の共通点があるので、日本のヨーニンマンに関心を持つ外国人たちは3つまとめて日本の文化大好きとなるわけだ。

ヨーニンマンを世界に広めたOTAKU

 ではどうして外国人たちはこの3つをまとめて考えることができたのだろう。  日本語で「オタク」と言われるとなんとなく肩身がせまい感じだが、今や英語になったOTAKUと言われることはむしろほめ言葉になっている。日本語の「オタク」はコンテンツをエンターテインメントの手段として考えているので、どうしても仲間内だけで楽しんでいる集団として見られてしまう。  これに対してOTAKUというのは、ある専門分野に特化した研究をしながらも全体を見渡すこともできる特殊能力を持った人として評価されている。彼らの研究対象は古くは浮世絵、黄表紙(江戸時代にはやった挿絵付き通俗読み物)に始まって、今では特撮、アニメ、そして妖怪、忍者、マンガにまで広がっている。  ヨーニンマンがこれほど海外の人に人気があるのはOTAKUのおかげといってもいいだろう。  彼らに刺激された影響か、日本でもヨーニンマンをアカデミズムの見地から研究するための体制が整いつつある。水木しげる氏の呼びかけで始まった「世界妖怪会議」(1996年)、京都精華大学が中心となって設立された「日本マンガ学会」(2000年)、三重大学や日本忍者協会が主導する「国際忍者学会」(2017年)が相次いで立ち上げられた。  ヨーニンマン間のクロスオーバー研究も始まっている。2018年9月には「国際忍者学会」が佐賀県嬉野市で開かれるが、そこで私が忍者マンガ研究の発表を行うことになっている。2019年には熊本で「日本マンガ学会」が開かれる予定だが、ここでは妖怪マンガ、忍者マンガをテーマとすることを検討中だ。

9月8日、9日に佐賀県で開催される第2回国際忍者学会。筆者も「忍者マンガにおける幕末期の位置付けと課題-新感覚忍者マンガ『シノビノ』の実験的試み―」という題で研究発表する。

社会現象となった戦後の忍者ブーム

 ヨーニンマンのうち最近国内外でブームとなっている忍者を最初に取り上げてみよう。まずは忍者の基礎知識から。忍者とは、忍術を使って密偵・謀略・後方攪乱・暗殺などを行う者のことで、戦国時代に、大名家などから指令を受けて活躍。特に伊賀、甲賀、戸隠、風魔、真田などが有名だ。  その後、平和な江戸時代には活動の場を失うが、伊賀、甲賀に残る忍術秘伝書からイメージされる忍者はキャラクターとして生き残ることになる。歌舞伎や講談の世界では、口に巻物をくわえ、ドロンパッと姿を消す妖術使いや、黒装束に身を包んだ忍術使いの存在が明治、大正まで重要な役割を果たしていくことになる。  戦後は、1960年代にまず小説から忍者ブームが始まった。司馬遼太郎『梟の城』(1959)、山田風太郎の『甲賀忍法帖』(1959)にはじまる「忍法帖シリーズ」、村山知義の『忍びの者』(1962)などが次々に大ヒットし空前の忍者ブームが始まる。  その流れを受けて次に映画やテレビドラマで忍者が映像化される。市川雷蔵主演の『忍びの者』(1962)などを皮切りに映画の世界も忍者一色、続いてテレビドラマでも『隠密剣士』(1962‐65)が異例の超ロングランのヒットを生み出していく。  そしてその流れはマンガにも広がり、子どもから大人まで忍者ブームは社会現象になっていった。その火つけ役が白土三平である。当時まだマンガは高価で子どもの小遣いでは買えなかったので、街角の図書館といわれる貸本屋(今でいうレンタルコミックショップ)でも忍者ブームがおきていた。  当時の貸本漫画は時代劇が主流で中でも忍者モノは人気が高く、特に白土三平の描く『忍者武芸帳』(1959‐62)は異例の大ヒットとなり、大島渚監督による映画(実写化ではなくマンガのコマを映画的手法で撮影したもの)まで作られた。  一方少年雑誌の方でも忍者ブームはとどまるところを知らず、横山光輝『伊賀の影丸』(1961‐66)などは、当時まだ子どもだった団塊世代に大きな足跡を残している。  マンガのヒットによりアニメも次々と作られ、白土三平原作の『サスケ』(1968‐69)も大人気となっていく。  さて日本の忍者はいずれも、陰に潜み、技術を駆使して与えられた使命をやり遂げていくという、どちらかといえば地味な忍者のイメージが強い。これは伊賀や甲賀に残る忍者秘伝書に書かれた忍者像が強く影響しているものと考えられる。

海外でNINJAといえば……

 私たちがアメリカの西部劇を「ウェスタン」と呼ぶように、海外では日本の忍者映画は「イースタン」と呼ばれ、独自の忍者のイメージができあがっていく。  海外でNINJAと言えば何と言っても、あのショー・コスギである。彼が1981年に主演の映画『Enter the Ninja』(邦題『燃えよNINJA』)は、全米で忍者ブームを巻き起こした。  そして、1984年にはアメコミ『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』が発表された。この作品はその後、アニメ化、実写映画化されるなど、今でも人気だ。  アルファベット表記となったNINJA はとにかくやることがド派手だ、日本の忍者のようにひっそりとミッションを遂行することはなく、とにかくメチャクチャに暴れまわり、人を殺しまくるというダークなスーパーヒーロー的イメージになってしまった。  そしてついに独自の進化を遂げたNINJAは2018年、『ニンジャバットマン』となって、アメコミのスーパーヒーローと合体することでさらなる変化を遂げようとしている。日本のオリジナルコンテンツである忍者は、一体どこまで変容していくのだろうか。

2018年6月に日本でも公開された長編アニメ映画『ニンジャバットマン』。アメリカの大人気ヒーロー・バットマンが日本の戦国時代を舞台にタイムスリップし、宿敵・ジョーカーらと戦う。10月24日にブルーレイ&DVDがワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメントより発売!

【橋本博(はしもと・ひろし)】 NPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクト代表 昭和23(1948)年熊本生まれ。熊本大学卒業後、県庁職員などを経て、大手予備校講師。昭和62年絶版漫画専門店「キララ文庫」を開業(~平成27年)、人気漫画『金魚屋古書店』(芳崎せいむ、1~16巻、小学館)のモデルとなる。平成23年、文化遺産としてのマンガの保存・活用や、マンガの力による熊本の活性化を目指すNPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクトを立ち上げる。平成29年、30年以上にわたり収集した本を所蔵した「合志マンガミュージアム」を開館。崇城大学芸術学部マンガ表現コースの非常勤講師も務める。
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