中華思想なんてない。日本の視点で捉える中国史!④

中国の空母・遼寧

中国の空母・遼寧

朝貢外交


 アフリカ諸国にODAをばら撒いて、彼らに経済援助を実施し、政治的に優位な立場を維持しながら、自分たちの思うように振る舞おうとする現在の中国。これは歴史を溯れば、朝貢外交に近いもので、こういったやり方が華夷秩序を重視する中華思想というものなのだろう。

 例えば、最近の研究では、朝貢外交において、貢物をもらうこと以上に多くの様々な物品を朝貢国に渡していたということがあったらしい。そういうことであるのなら、中国からすればむしろ持ち出している側面もあったということになる。

 最新研究を踏まえると、中国にとっては、「自分のほうが上」であることを建前的にも認められることが、より重要になるということなのか。

 その状況を続けていくためにも、逆に自分たちの国には無いものがないという大国として振る舞いを見せ、朝貢国に施しを与える必要があったのであろうか。

 このような状況であれば、両者は持ちつ持たれつの関係で、中国にしても朝貢国にしても、ある意味、利害が一致していたとみることもできる。

 周辺諸国とはこのような関係を築いていた中国だが、その中国を奉じて、中国の次の位置にいると自らを認識していたのだが中国の属国だった朝鮮である。

 華夷秩序の体制なかでは、朝鮮は日本を自分たちより下に見ていた。しかし、一方の日本は中国とは対等の関係であるとの自負を持ち続けていた。

日本は中国の下にはならない


 近代になっても、清国は日本に対して清への服属を強要した。1856年から1860年にかけて起こったアロー戦争を経て、清は外国の公使の北京駐在を受け入れた。

 だが、清は各国に対して三跪九叩頭、つまり、朝貢国的な振る舞いを要求する。列強の圧力に屈しはじめた中国であったが、まだまだ大国意識は維持していた。

 しかし、日本の特命全権大使である副島種臣は、中国が要求した三跪九叩頭を拒否した。そして、1か月の交渉の末、ようやく、そのまま皇帝に謁見することとなる。

 加えて、副島は自分が大使であるという理由から、欧米各国の代表よりも上の扱いを受けることを強く求め、それを受け入れさせたとのエピソードが残っている。これは日本外交の勝利でもあるし、日本の手ごわさを中国に覚えさせるということにもなった。

 歴史上の記憶はなかなかひっくり返ることはない。どれほど軍事力、経済力で世界を圧倒し始めた中国にとっても、すべてが思い通りにいくわけではない。

 日本に対しても、いくら軍事・経済で日本を凌駕しているとはいえ、「もはや日本は相手にはならない」ということにはならず、日本への警戒は怠らないとの思いは持っているはずだ。

参考:『中国と日本がわかる最強の中国史』八幡和郎著





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