明治維新の最大のポイントは律令制の復活にあった

萩市(山口県)に復元された高札場(縮小)

萩市(山口県)に復元された高札場


律令制の復活によって近代化を推し進めた明治新政府

 明治維新の王政復古からはじまる天皇親政の実態は奈良時代の律令制の復活です。明治新政府は近代化した西洋の憲法を模倣し、政治システムそのものも西洋の模倣といわれますが、基本は律令制に倣っています。
 
 奈良時代までの日本は天皇を中心とした中央集権の形をとりました。それが平安時代以降、地方分権の方向に進みましたが、明治維新の版籍奉還と廃藩置県で土地をすべて天皇に返すことになり、再び中央集権という形になったのです。それに合わせて改めて中央集権国家としての法律、機構をつくる必要が生じました。そのときに律令制が用いられたのです。
 
 それは明治初期の行政機構を見れば明らかです。太政官、神祇官といった律令制の二官八省を模して、二官六省制が発足しました。最近まで大蔵省という役所がありましたが、大蔵省は律令制にある言葉です。文部省もそうです。省とつけるのは律令制の二官八省の名残です。
 
 明治2(1869)年につくられた主な組織は、輔相(ほしょう)・議定・参与といったものです。組織に役職の名前が付いているのも律令制とよく似ています。輔相となったのは三条実美(さねとみ)です。この人は貴族で天皇家の一員です。議定は岩倉具視、徳大寺実則(さねつね)、鍋島直正。参与が東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)、木戸孝允、大久保利通、後藤象二郎、副島種臣(そえじまたねおみ)、板垣退助と薩長勢力がここに入ってきます。
 
 明治4(1871)年に、太政官は正院、左院、右院の三院に分けられ、その下に八省を置きました。新しい状況に合わせて、民部省から公部省が分離され、刑部省が司法省へ改組されるなどの改変がありました。
 
 明治8(1875)年になると、左院は元老院となって立法を、右院は大審院となって司法を司ることになりました。ここに三権分立のおおよその形が出来上がりました。府県長官による地方官会議も設置されて、新しい国づくりの形が整いました。
 
 律令制を真似してはじまったこの新しい行政機構が、自由民権運動や憲法制定などにうまく適応していきました。明治維新というと日本の近代化が強調されますが、実は律令制が復活していたのです。これが最も重要なポイントです。
 

西洋の進歩史観とは異なる日本の歴史

 ダーウィンの進化論にマルクス主義が結びついて西洋で生まれた進歩史観という歴史の見方があります。これは時代が新しくなるにしたがって人間も進歩するという考え方をします。だから現代が一番発達していると考えるわけですが、これは錯覚にすぎません。少なくとも日本ではそういう考え方はしません。
 
 日本は自然とともに生きてきた歴史をもつ国です。人間のあり方は自然と同じだからそう簡単には変わらないという見方をします。人間とは自然的存在であり、本来変わらないものなのです。変わらないけれど、自然と折り合いつつ改良していくことができると考えます。それゆえ明治維新のときも、古いものを残しながら、その上に新しいものを適用していくという動きになったのです。
 
 新政府と律令制とのかかわりを象徴的に示しているのが高札です。高札とは法令を板に書いて往来などに掲示して民衆に周知させる方法で、律令制が取り入れられた古代から明治初期まで続いていました。明治の最初の法律は、この高札という形で出されました。
 
 このように、大政奉還とは律令制の復活だったのです。それ以前の長い期間、権力を中心とした政治が続いていましたが、今後は権威を中心として新たに歩もうと決めたというのが大政奉還だったのです。

(出典=田中英道・著『日本国史――世界最古の国の新しい物語』育鵬社)

田中英道(たなか・ひでみち)
昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『世界文化遺産から読み解く世界史』『日本の宗教 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史――世界最古の国の新しい物語』(いずれも育鵬社)などがある。





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