緊張高まるロシアVSウクライナの一方で、「ロシアのクリミア半島侵略」を正当化する日本人の無知を暴く

<文/グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』連載第10回>

クリミア半島の帰属問題

 英BBC放送によれば、11月25日、ウクライナ海軍が同軍の小型艦など3隻に対し、ロシア連邦保安局(FSB)の監視船が発砲し、3隻が拿捕されたと発表、ロシアとウクライナの緊張が大幅に高まっている。  これは、2014年にクリミア半島がロシア軍に不法占領されたことに端を発する戦争だが、日本ではロシアのクリミア半島について次のA~Cのような意見を聞くことがある。 A「クリミア半島はウクライナの核兵器を放棄した見返りとして、ソ連崩壊後、ウクライナに与えられた」 B「クリミアはウクライナ出身のフルシチョフによってウクライナにプレゼントされた」 C「クリミア半島は元々ロシア領だから仕方ない」  このような意見を述べる人たちは、自分が歴史や民族問題に関して無知であり、また出鱈目な情報を鵜呑みにする傾向にある人間であることを自ら露呈しているようなものだ。  まずは、A「クリミア半島はウクライナの核兵器放棄への見返りだった」という説だが、これはまったく根も葉もない嘘であるので、これ以上論じることはない。ウクライナ核兵器の放棄に関する交渉において、クリミアの帰属は公式、非公式共に一切話題にならなかった。これは誰かの妄想、単なる思い込みに過ぎない。だから議論に値しない。

「フルシチョフからのプレゼント」説の嘘

 次に、B「ウクライナ出身のフルシチョフからのプレゼント」説だが、ウィキペディアにも「ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入」の項目で、「スターリン死後の1954年、ニキータ・フルシチョフによりクリミアはロシア共和国からウクライナ共和国へ両国の友好の証として割譲された。」と書かれている。  だが、これはロシアのプロパガンディストによって流されている嘘である。フルシチョフは、ソ連共産党ウクライナ支部に長くいたことから、ウクライナ人と誤解されることがあるが、民族的にはロシア人である。彼はウクライナを担当していた頃、積極的にスターリンの抑圧や虐殺に加担した。  クリミア半島のウクライナへの編入は、フルシチョフが権力を握る前にソ連政府に決定されたものだ。なぜなら、クリミア半島は地理的にウクライナと隣接しており、インフラの面でもウクライナのインフラ体系の一部である。また産業や経済や物流など、すべての分野においても同様にウクライナの一部であった。  だから、クリミアを直接モスクワが管理するより、ソ連共産党ウクライナ支部に任せた方が、効率がいい。また資源の面では、クリミア半島は資源不足で自立できないので、水道水やガス、電気などもすべてがウクライナ本土から調達されている。だからソ連政府によるクリミア委譲の判断は、あくまで効率や管理しやすさに基いたものであり、決してウクライナを優遇するためではなかった。

クリミア半島は元々どこの領土だったのか?

 さて、最も広まっている誤解が、C「クリミア半島は元々ロシア領だ」という説である。これについて私は聞きたい。「元々」とはいつなのか? 100年前か? 500年前か? それとも1000年前か?では、クリミア半島が歴史的にどこに帰属していたか、思い出してみよう。  紀元前七世紀から、クリミア半島の南部には古代ギリシャからの入植者が都市国家を造っていた。  紀元前五世紀~紀元後4世紀の約800年間、クリミア半島の東部は、ギリシャ系のボスポロス王国の中心であった。その間、一時期、ローマ帝国の保護国となっていた。同時に北部はスキタイ族の国家に所属していた時期もあった。  四世紀にはゴート族、五世紀にはフン族に支配されていた。  六世紀から九世紀まで、クリミアはビザンツ帝国の一部であった。  十世紀になると、ウクライナの先祖に当たる古代ルーシが台頭し、クリミア半島の一部を支配するようになった。それぞれの支配も完全なものではなく、現地の部族らと通り過ぎる遊牧民との混在状態であった。  十三世紀のモンゴル襲来によって、クリミア半島の大部分はモンゴル系国家のジョチ・ウルスに支配されるが、南の沿岸部は一部はビサンツ帝国、一部はイタリアのジェノヴァ共和国の植民地になる。  十五世紀ではクリミアタタール人のクリミアハン国が成立する。クリミアタタール人とは、アジアから渡来したモンゴル人やタタール人と、先住民の諸部族が混血してできた民族である。クリミアハン国はクリミア半島を1783年まで300年以上支配した。  そして1783年にクリミア半島がロシア帝国に併合され、支配は1917年まで続いた。  1918年には、当時、一時期独立していたウクライナに数カ月の間支配される。その後のロシア内戦時代には、白軍に約2年間支配され、白軍が赤軍に敗北した後はソ連に組み込まれた。  そして1954年に、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国から、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ委譲された。ソ連崩壊後は、クリミア半島はそのまま独立したウクライナの領土になった。

重視すべきは「元々」ではなく「今」

 このように、クリミアは何回も支配者が変わっている。それでは、クリミアは「元々」どこの領土なのか?  結論を言おう。クリミア半島は、「元々」ロシアの領土ではない。ギリシャ人に800年支配され、クリミアタタール人の国家が340年存在したが、どちらも、ロシアが支配していた約200年より遥かに長い。だから、ロシアがクリミア半島領有の主張を歴史に求めるのは、まったく正当性がない。  歴史的に支配者が何度も変わった地域に関しては、「元々ウチの領土だ」という主張自体がおかしい。「元々」の時期を自分に都合のいい時代に設定すれば、多くの国が「クリミアは元々うちの領土だ」と言えるからである。  重要なのは、その地域は「今」どこに所属しているかということである。そして疑いようのない事実は、クリミア半島は「今」、ウクライナの領土であるということだ。それ以外の解釈はあり得ない。

国際法上も、民族的にもクリミア半島はウクライナの領土

 次に国際法の観点で考えてみよう。ウクライナが独立した時点で、クリミア半島はウクライナの領土であった。そしてそれ以降、ロシアを含む世界のすべての国は、クリミア半島はウクライナの領土であると認めている。ロシアは何度もクリミア半島の帰属に異論がないと宣言し、ウクライナに対して一切の領土的主張がないということを確認する条約に署名している。だから現在では、国際法の観点から見ても、クリミア半島はウクライナの領土である。  最後に、民族的な観点からクリミア半島の帰属を考えよう。現在のクリミア半島の民族的な構成とは、ロシア人6割、ウクライナ人3割、クリミアタタール人1割である。 しかし、これは自然にできた民族構成ではない。クリミア半島がロシア帝国に併合された時点で、クリミアタタール人が半島人口の過半数を占めていた。  その後、ロシア帝国はロシア内地からクリミア半島へのロシア人の入植を促して、半島の民族的な構成を変えようとした。クリミアタタール人の割合は次第に減っていったが、それでも併合の160年後、クリミアタタール人が半島の人口の4割を占めていた。  しかし、1944年に、スターリンがクリミアタタール人の追放を決定して、すべてのクリミアタタール人がクリミア半島から強制的に移住させられた。彼らはソ連治安部隊に貨物列車に乗せられて、中央アジアに輸送された。移動の状況が過酷だったので、多くのクリミアタタール人は途中で亡くなっている。  こうして、クリミアタタール人はクリミア半島からいなくなった。その代わりにロシア内地から新たに大量にロシア人が入ってきた。クリミアタタール人がクリミア半島に戻ることが許可されたのは1980年代後半であり、実際に多くの人が戻れたのはソ連崩壊後である。  このように、現在のクリミア半島の民族構成で、ロシア人が過半数を占めているのは、酷い民族浄化や弾圧の結果である。もし先述した民族浄化がなければ、現在でもロシア人は少数であったであろう。  だから、「2014年にクリミアの住民は民族自決権に基づいてロシアへの帰属を選んだ」という主張も完全に論理破綻しているのである。  「民族自決権」というのは、当該の地域の先住民に限るものであり、民族浄化の過程で入った、他国の入植者には民族自決権が及ばない。  だからクリミア半島においては、ロシア人はその帰属を決める権利がない。決められるのは、半島の先住民であるクリミアタタール人と、ロシア人より先にそので自然に住みついたウクライナ人のみである。言うまでもないが、半島に住んでいるクリミアタタール人もウクライナ人も、クリミア半島がウクライナの領土であるべきだと考えている。  つまり、国境不可侵の原則、民族自決権、国際法、地理条件など、どの面で見てもクリミア半島はウクライナの領土であるということだ。 【グレンコ・アンドリー】 1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
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