鎌倉の大仏は芸術作品である(その1)

鎌倉大仏(縮小)

阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏) 国宝 高徳院

鎌倉時代の文化の象徴

 神奈川県鎌倉市の高徳院にある『鎌倉大仏」坐像は、時代の文化を象徴する像です。室町時代に起きた津波によって大仏殿が損壊したため、現在のような露坐となりました。歴史的価値の高さを再確認してみましょう。  鎌倉大仏を中心とした寺院群は、世界文化遺産に登録されるべき地域だと誰もが思うでしょう。鎌倉時代の文化がこれほど残っている歴史的な地域はありません。鎌倉時代(1185~1333年)はヨーロッパで言えばゴシック時代で、その古さにおいてもひけをとりません。  そのゴシック彫刻と勝るとも劣らない彫刻・絵画を多く創造した鎌倉時代を代表する都市が、世界文化遺産に登録されてないのは、残念なことです。  鎌倉市は、高徳院の鎌倉大仏を中心にして世界文化遺産の立候補地に上げなかったために、建造物の時代の一貫性を欠いてしまいました。建築は江戸時代の再建が多く、彫刻に名品が少ないのです。そのため、候補地にも上がらなかったのです。  しかし、鎌倉文化について『鎌倉大仏』坐像の芸術的な重要さを中心に据えて、鎌倉という地域を押し出せば、確実に世界文化遺産に値するでしょう。きっと地元の人々は、『鎌倉大仏』坐像が露坐されているために、その価値を見誤っていると思います。また、普段から見慣れているので、それが秀逸な美術作品であることを忘てしまっているのでしょう。鎌倉市も世界文化遺産登録のために、プレゼンテーションをがんばってほしいと思います。  さて、私は拙著『世界文化遺産から読み解く世界史』(育鵬社)において、奈良の東大寺とローマのサンピエトロ大聖堂を比較して、その巨大さが共通していることや、東大寺の建立の古さと、国家宗教としての格の高さを述べました。  私は、今の『奈良大仏』像は江戸時代に再建されたものなので、芸術作品と呼ぶのは躊躇されると思います。火災や災害に2回も遭っているので仕方がないのですが、天平時代の古典性が失われているのです。  しかし、東大寺の『大仏』像からちょうど500年後に造られた『鎌倉大仏』坐像は、屋外に安置されていながらも芸術性を残しており、誰もがそこに、鎌倉時代の仏像の謹厳な一端を見ることができます。  (出典=田中英道・著『日本の美仏50選』育鵬社)  田中英道(たなか・ひでみち)  昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『世界文化遺産から読み解く世界史』『日本の宗教 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史――世界最古の国の新しい物語』(いずれも育鵬社)などがある。
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