「左翼老人」の源流1

1917年のペトログラード・ソヴィエト会議

1917年のペトログラード・ソヴィエト会議

社会主義国家を誕生させたロシア革命


 現在では、世界的に退潮したといっていい共産主義思想だが、13億という巨大な人口を抱える中国や北朝鮮など、日本の周辺には、この共産思想を信奉した社会主義国家が複数存在している。

 左翼主義者にとっては、これも日本の隣りといってよいソ連こそが、世界で初めて資本主義体制の打倒を成し遂げた社会主義国ということで、ソ連に対して尊敬と憧れの念をずっと抱いていた。

 そのソ連も建国から70年弱で幕を下ろすことになり、東西の冷戦が終結。それから30年。今度は、建国後70年を迎える共産党独裁国家・中国の「崩壊の可能性」を言い立てる人もいるようだ。

 ソ連崩壊のアナロジーで、70年が共産主義独裁の寿命とも指摘されるのだが、ソ連との違いは、現在、中国が社会主義から最も遠い社会主義国(実態は国家ぐるみの資本主義)となってしまっていることで、「崩壊」を言い募る人は、自身の願望も込めているのだろう。

 ここでは、まずは革命が成功した「聖地」であるソ連の成立過程と日本への影響を考えてみる。

 第1次世界大戦の荒廃もあり、世界的な不況が吹き荒れる中で、帝政ロシアでも不況が直撃し、労働者の失業は拡大して労働運動が激化し、食糧不足による不満が国民の中に渦巻いていた。

 そして、臨時政府の設立や党派争いの激化などの混乱が続いたのち、ようやくロシア社会主義連邦ソビエト共和国が成立する(1917年10月)。

 ロマノフ王朝のニコライ2世とその家族は飼っていた馬も含めて処刑されたが、内戦が続くなかで、貴族、地主、資本家、聖職家、知識人など、共産党に敵だと思われた多くの人々も殺された。

 なぜ宗教家さえもという疑問が湧くが、ロマノフ王朝を精神的に支えていたのがロシア正教会だったということだけでなく、そもそもマルクスは宗教に批判的だったことが原因とも言われている。

日本に与えた影響


 この時代は日本でいえば、大正時代にあたる。この日本でも、ロシア革命の影響は少なからずあったのだ。

 それは、ヨーロッパからの影響を受けるかたちで、日本でもマルクス主義に関しての勉強会ができ、その数を増やししていきながら、日本共産党設立という流れになっていくのだ。

 そして、革命から逃れるため、日本にもロシアから外交官や哲学者を始めとする「亡命者」がやってきた。中には、野球選手として名高いスタルヒン。そしてお菓子で有名なモロゾフ父子といった人もいた。

 現在の日本では歴史書の中でしか、共産主義の隆盛を知ることはない。しかし、第二次大戦が終わった後、日本でも「共産主義思想」が国民のなかに大きく浸透していく。

参考:『左翼老人』森口朗著(扶桑社新書)





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