日本の美仏を歩く(8)――円空のあらわす樹木の怒り

秋葉大権現(縮小)

秋葉神社 秋葉大権現像 写真:日本まん真ん中センター

 生涯で12万体もの仏を造ったという僧・円空。そのほとんどが、木肌をそのままの荒々しい削り方での素朴な像です。岐阜県・飛騨にある秋葉神社の『秋葉大権現』像から、円空の人間像を見てみましょう。

12万体もの仏像を制作した円空

 円空(1632年~85年)の展覧会は、日本のどこかで必ず開かれていると言っていいほど、人気が高いことをご存じでしょう。  というのも、円空は、岐阜県・愛知県を中心に北日本を行脚し、制作した仏像は12万体という驚異的な数に上っています。例えば、一つの展覧会で100体展示されているとすると、円空の作品をすべて観るためには1000回以上の展覧会を観なければならない勘定になります。  もっとも、円空作と認定されているのは5340体と言われています。つまり、真似されやすい単純な彫りであるということです。  東京国立博物館で『飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―』展が開かれました(平成25年1月12日~4月7日)。円空は飛騨・千光寺(岐阜県)に、貞享年間(1684~88年)に滞在しています。『近世畸人伝』(寛政2年・1790年刊)には、次のように記されています。  《僧円空は、美濃国竹ケ鼻という所の人也。……飛騨の袈裟山千光寺といえるに遊ぶ。その袈裟にありける僧俊乗といえるは、世の無我の人にて交りければ也。円空もつるものは鉈(なた)一丁のみ。常にこれをもて仏像を刻む所作とす。袈裟山にも立ちながらの枯れ木をもて作れる二王あり。今是を見るに仏作の如しとかや。……この国より東に遊び、蝦夷(えぞ)の地に渡り、仏の道知らぬ所にて、法を説きて化度せられければ、その地の人は今に至りて、今釈迦と名づけて余光をたふとむと聞ゆ……》。  ここには、円空が、千光寺で無我の人、俊乗房(しゅんじょうぼう=重源上人)と出会い、その影響を受け、その後、仏像造りに励んだことが書かれています。これだけを読むと、円空は仏の道に邁進したことになりますが、私の考えは少し違います。というのも、円空の最初の作品と言われる像は、『天照皇大神』像など3体の神像であり、仏教の徒と言うよりも、神道の作家と言えるほど自然信仰の中で生きた彫刻家なのです。

神様を現す『秋葉大権現』像

 『秋葉大権現』像は、円空が32歳の時、神官、西神頭家を訪ね、神明神社(三重県)のために造られたもので、日本の神話の像を作ったとされる稀な像です。神像は造らないことが原則なのですが、あえてその禁を犯した円空は、信仰の根底に、神と出会ってみたいという熱心な気持ちがあったことを示しています。  そのことは、円空が詠んだ和歌を読むと分かります。飛騨・千光寺に奉納された『袈裟百首』と、岐阜県・高賀神社の『大般若経』の表紙裏に貼り付けられた1600首の歌です。後者は、草稿と思われていますが、円空の荒削りの仏像と同じように、その表現は荒削りながら、心からほとばしるような歌ばかりなのです。  《世に伝ふ 歓喜(よろこ)ぶ神 我なれや 口より出る 玉のかつかつ》  自分は「歓ぶ神」であり、その口から珠玉のような言葉が自ずから出てくるのだと歌っています。  《やすやすと 伊勢御神 遊ぶらん 竹馬にのりて 春来らん やすやすと 神の子供も 遊ぶらん 百世の君 逢は春風》  伊勢の御神とは天照大御神であり、その子孫の神々を無心に生き生きとしている、そんな春になったのだと歌っているのです。天照大御神が竹馬に乗ってやって来たと、日本の神々が、いかに親しい存在であるかを歌っています。  円空の歌ほど、日本人の楽天的な自然信仰、御霊信仰、皇祖霊信仰を吐露した歌はないと思われます。ここには、山そのものが神であることを率直に述べているのです。しかし、神は山だけに存在しているわけではありません。  《法の舟 天の川原の 月なれや 遍(あまね)く照らせ 渡住(わたすみ)の神》  「渡住の神」とは、海の神のことですが、天の川原の月があまねく照らしてくれるようにと自然の神の神々しさを率直に歌っているのです。  《いわへとて 是御くわの 神なれや浮世照す 皇(すめらぎ)の宮》  〝御くわの〟と、桑の養蚕の神のことを歌っています。天皇の祖先である伊勢神宮が、桑の木自身が神であることを祈り、祝っています。  円空は、滋賀県・伊吹山の太平寺で修行を積んだと言われています。遊行僧として全国を巡り、山岳修験道の行者でもありました。奈良県南部の大峯山(おおみねさん)での修行を始め、北海道の有珠山(うすざん)、岐阜県・飛騨の御嶽山(おんたけさん)・乗鞍岳(のりくらだけ)・穂高岳(ほだかだけ)などにも登拝しました。中には、下呂を訪れた時には、幅、奥行き約27メートルの巨岩の岩陰で寝泊まりして、仏像を彫ったと言われており、その岩は「円空岩」と呼ばれています。

荒々しい彫り方に示された円空の思い

 円空は、なぜこんな荒削りの仏像を造ったのでしょうか。それは、円空が、木そのものの霊を彫ろうとしたからであって、仏像そのものを彫ったのではないからです。  仏像の形は単純で、丁寧な彫りではなくとも、心がこもっています。その木の神を、そこに現出させようとしたと言えると思います。  木の神を示すためには、その木肌そのもの、その木の生気を示さなければなりません。円空はこうして木の神の勢いを、鉈で切った木肌で示したのです。それらは確かに、簡単に彫れるような像です。12万体と言われる数の仏像や神像も彫ることは可能であったと言えるでしょう。  しかし、あくまで樹木の「気」というものが主役であり、仏像の形が主役ではないことが特色なのです。われわれは、円空のその気力を彫り方に感じるがゆえに、その素朴さの中にある現代性さえ感得するのです。  円空の作品の中で、どの像を取り上げるか迷いましたが、その樹木の魂を示すような一作を選んでみました。 (出典:田中英道・著『日本の美仏50選』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『日本国史』、最新刊『ユダヤ人埴輪があった!』(いずれも育鵬社)などがある。
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