「事実を見るべし」 

脱亜論ラフ06

拓殖大学学事顧問(前総長)渡辺利夫・著『決定版・脱亜論――今こそ明治維新のリアリズムに学べ』(育鵬社)

 福沢諭吉が122年前(明治30年10月7日付)に、『時事新報』に発表していた記事がある。  日本を取り巻く今日の国際情勢に照らし、一読いただきたい。  「本来朝鮮人は数百年来儒教の中毒症に陥(おちい)りたる人民にして、常(つね)に道徳仁義を口にしながら其衷心(そのちゅうしん)の腐敗醜穢(しゅうわい)、殆(ほと)んど名状(めいじょう)す可(べか)らず。上下一般、共(とも)に偽君子(ぎくんし)の巣窟(そうくつ)にして、一人として信を置くに足るものなきは、我輩(わがはい)が年来(ねんらい)の経験に徴(ちょう)するも明白なり。左(さ)れば斯(かか)る国人に対して如何(いか)なる約束を結ぶも、背信違約(いやく)は彼等の持前(もちまえ)にして毫(ごう)も意に介(かい)することなし。既(すで)に従来の国交際上にも屡(しばし)ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自(みず)から実(じつ)を収(おさ)むるの外(ほか)なきのみ」  訳文  もともと朝鮮人は数百年この方、儒教の中毒症にかかりつづけた国民であり、道徳仁義をつねに口にするものの、心底(「衷心」)は腐敗しており、その醜(みにく)くけがらわしいさま(「醜穢」)は言い表わす(「名状」)ことがほとんど困難なほどである。身分の高い者から低い者まですべてがみせかけだけの君子(「偽君子」)の巣窟であり、誰ひとりとして信頼できる者がいないことは私(福澤)の長年の経験に照らしても(「徴するも」)明白である。したがって、このような国民とはどんな約束を結んでも、背信と違約が彼らの本性(「持前」)であるから、これを意に介する必要はまったくない。すでにこれまでの外交(「国交際」)においてもしばしば経験ずみのことであり、朝鮮人相手の約束ならば、はなから無効のものだと覚悟して、現実的な「実」をとるほかないというべきである。 (出典:渡辺利夫著『決定版・脱亜論』育鵬社より)
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