図1 1613 年にアムステルダムで出版された地図。南シナ海の島々がナイフのような形で囲まれて(図中囲み部分)ベトナム南部に帰属するように描かれている。
図2 1896 年にタイムズ・アトラスの一部としてロンドンで出版された地図。中国が近年、領有権を主張するようになった「西沙諸島」は、「Paracel Islands and Reefs」(パラセル諸島)と表記されているなど、南シナ海の島々の名前としてベトナム人が用いていた名称が記載されている。
中国が主張する南シナ海の領土問題ついに決着!? ベトナムの領有権を証明する決定的証拠見つかる!
南シナ海の領有権をめぐる問題
歴史上、国家の権限がおよぶ領土や領海をめぐる問題は後を絶たず、戦争を引き起こす主な理由の一つになっている。現在も世界各地で領土・領海をめぐる問題が起こっている。 近年では、南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島やパラセル(西沙)諸島の領有権をめぐり、ASEAN諸国と中国の間などで主張が対立している。例えばスプラトリー諸島のジョンソン南礁はベトナムが統治していたが、1988年のスプラトリー諸島海戦で中国が実効支配している。中国は2013年頃から埋め立てて「人工島」を造成しており、領有権を主張するベトナムやフィリピン、マレーシアなどとの間で問題になっている。古地図が語る南シナ海の領有権
古地図は我々にいろいろなことを教えてくれる。図1はオランダ人のヨドクス・ホンディウス(Jodocus Hondius・1563〜1612年)が描いたインドと東南アジアの地図である。図1 1613 年にアムステルダムで出版された地図。南シナ海の島々がナイフのような形で囲まれて(図中囲み部分)ベトナム南部に帰属するように描かれている。
南シナ海の島々にベトナムの名前
この南シナ海の島々の帰属は1896年に作られた地図(図2)を見るとより明確になる。図2は現在我々が目にする地図と遜色がない。図2 1896 年にタイムズ・アトラスの一部としてロンドンで出版された地図。中国が近年、領有権を主張するようになった「西沙諸島」は、「Paracel Islands and Reefs」(パラセル諸島)と表記されているなど、南シナ海の島々の名前としてベトナム人が用いていた名称が記載されている。
明も清も鎖国制度(海禁)を採用していた
東南アジアにヒンズー文明やイスラム教が伝播した経緯を記したところでも述べたが、中国人は海外進出に興味を持っていなかった。興味を持たないどころか、明も清も鎖国制度(海禁)を採用しており、自国民が外洋に航海することを禁じていた。そんな関係もあり、16世紀になって西欧人がアジアに来た時に、南シナ海の島々はベトナムのものとされていた。 このような事実を見ても、中国が南シナ海の島々の領有権を主張することには根拠がない。歴史を知る時、中国が南シナ海の島々の領有権を軍事力の行使を伴いながら主張することは容認できるものではない。その行為はまさに帝国主義的と言ってよいだろう。 今回述べた内容については、3月1日に出版される『日本人が誤解している東南アジア近現代史』(扶桑社新書)にも詳しく書いているので、ご興味のある方は参照いただきたい。 川島博之(かわしまひろゆき) ベトナム・ビングループ主席経済顧問、Martial Research & Management Co. Ltd., Chief Economic Advisor。1953年生まれ。1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授を経て現職。工学博士。専門は開発経済学。著書にベストセラー『戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊』や『習近平のデジタル文化革命』(いずれも講談社+α新書)等多数。最新刊は『日本人が誤解している東南アジア近現代史』(扶桑社新書)。「日本が侵略した」 「日本が解放した」 どちらも間違い!! 日本人だからこそ知っておくべき東南アジアの歴史の真実!