国土保全イノベーション:「砂防」が守る日本の国土1

繁栄する地方都市・富山

 富山市は今、日本中の注目を集める「まちづくり」を進め、デフレ時代の他の都市では久しく見ることができなくなってしまった「賑わい」を取り戻し始めている。 平成 27 年(2015年)には北陸新幹線が開通し、首都圏までたった2時間で行き来できるようになった。  これと並行、あるいは先行して、街の中には最新式の路面電車である「LRT」(ライト・レール・トランジット)が整備された。  都心部には道路空間を活用した「広場」 が作られ、連日さまざまなイベントが開催され、たくさんの人で賑わっている。  そして、都心部やLRTの駅周辺では、民間投資が活性化して「地価」も上昇しはじめている。富山市の人口それ自体も、この人口減少時代の中で着実に増加し続けている。  つまり富山は今、衰退の一途を辿っている全国の地方都市とは対照的な繁栄を手に入れつつある。  これを導いたのは新幹線であり、まちなかのLRTや広場の整備であり、それをサポートする「まちづくり行政」であることは間違いない。  しかし、これらの理由よりもさらに重要な、これが不在であれば富山の繁栄は絶対にあり得なかったという極めて重大かつ本質的な理由がもう一つある。  それが、富山の背後にそびえ立つ立山連峰の「砂防」なのである。

「砂防」がなぜ、富山の繁栄の最重要理由なのか?

 当たり前のことだが、富山の街の繁栄は「富山平野が、今の状態で、そこに存在し続けていること」がすべての前提だ。  ところが、この前提を守り続けるためには、「砂防」の取り組みが絶対的に不可欠なのだ。 今から150年以上昔の1858年(安政5年)に、富山平野を襲った「大土石流災害」。  富山平野は、その背後にある「立山連峰」から流れ出る「常願寺川」等によって作られた平野(沖積平野)だ。  つまり常願寺川をはじめとしたさまざまな河 川が定期的に「洪水」(氾濫)を起こし、そのたびに、背後の山々から運ばれてきた土砂が平野部全体に拡散し、それが繰り返されるうちにでき上がったのが富山平野なのである。  立山連峰は、富山市を象徴する美しい山々だ。しかし、その美しい山々からやって来る水や土砂は富山の人々を幾度となく襲い続けている。  というより、富山平野の地学的歴史から言うなら、そうした洪水や土石流は、富山市民にとっては、逃げることができない「宿命」なのである。 そしてその代表的な災害が、安政5年に富山市を襲った土石流だったのである。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。
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