地方再生の街路イノベーション:「クルマ車線」を削って賑わう京都・四条通2

なぜ人は「道からクルマを締め出す」のが好きなのか?

 このような理由から、クルマから歩行者へと開放されれば、その道路空間は確実に「魅力的な空間」へと生まれ変わるのであり、結果として、多くの人々を集めることに成功するのである。  ただし、その街路が魅力的なものとなる「最大の理由」は、以上の理由とは少し違うところにある。それは、人は「賑わい」それ自体が好きだ、というもの。  そもそも、上記のような理由で人がまちなかに集まり、賑わいが生まれてくれば、今度は、そこに「賑わいがある」ということそれ自体が、さらに人を集める最大の理由となるのだ。  先に紹介した祇園祭にあれだけ大量の人々が集まるのは、それだけ大量の人々がその賑わいそれ自体を楽しもうとしているからこそなのである。

道路空間の再配置という街路イノベーション

 今、日本はどこも不景気で、全国の街々は「集客不足」に頭を悩ませている。    そんな中で、道路からクルマを締め出し、そこを歩行者(あるいは、LRTやBRT等の都市交通)に開放するような「道路空間の再配置」事業は、街を復活させる「切り札」として都市交通計画に携わる人々の間で大いなる注目を集めているのだがなかなかそれを実現できない、というのが実情だ。  例えば歩行者天国は、高度成長期の時代まではさまざまに導入されていったのだが、ここ最近、ほとんど進められなくなった。  最近ではトランジットモール化といって、道路からクルマを締め出し、その代わりに歩行者と公共交通にその空間を再配置しようという議論も旺盛になされているが、その本格的実現の事例も極めて限られている。  こうした状況の根底にあるのはやはり、「道路はクルマのためのもの」という固定観念が、かつてよりも圧倒的に強固なものになってしまったということがある。  ただしより正確に言うなら、今の日本は、一部の人々に何らかの不利益をもたらしかねない「公共の事業」は、それがどれだけトータルの公益を拡大するものであろうとも、その一部の反対によって進められない国になっていることが根本的原因だとも言える。  道路からクルマを排除すれば当然ながら彼らの利益は減少する。それを恐れた自動車交通に関わる関係者たちは口をそろえて「道路はクルマのためのもの」という観念を盾にとり、道路空間の再配置に対する反対勢力となってしまうわけだ。  結果、そんな固定観念によって、街の再生に向けた道路空間再配置という「街路イノベーション」が、全国各地の都市で頓挫し続けることとなっているのだ。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。
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