『大きな努力で小さな成果を』について(8)

気づく人になる

鍵山秀三郎先生の書

鍵山秀三郎語録 その3

   イエローハット創業者で、「日本を美しくする会」相談役の鍵山秀三郎先生の著作『大きな努力で小さな成果を』(育鵬社)は、その骨太な内容が多くの読者の心をつかんでいる。    今回は、『大きな努力で小さな成果を』について(7)に続き、本書の中から、編集担当として心に残った言葉を選び、紹介したい。「鍵山秀三郎語録 その3」である。  人間の度量や器量というのは、非日常の際に現れると思っています。(第三章 人生について 「人間力を高める生き方」より)  物事の判断基準はいくつかありますが、昔の日本人はまずは善悪で、その次に損得や好き嫌いがきました。今の日本人は、真っ先に損か得か、あるいは好きか嫌いかの物差しで計り、善悪の基準が忘れ去られています。損得は普遍的ではありません。得だと思っても、後から損になることは数多くあります。人を育成するにしても、基本的にはそこから始まると考えています。(第三章 人生について 「人間力を高める生き方」より)  なるべく手間隙かけずに、また人手をかけずに、大きな利益を得ようとして滅びていった大きな組織がたくさんあります。一方で、人の後塵を拝しながら、地を這うように努力を重ねていって、そしてわずかな成果でもそれを感謝して受け取る。こういう人たちが、長い目で見たとき、必ず頭角を現してきているのです。(第三章 人生について 「凡事徹底」より)  「やっておけばよかった」ということをやらないでおくと、何が残るかと言えば後悔というものが残ります。人間にとって何かをしないで残した後悔というものは、いつまでも残るのです。  一方、いいと思ってやったとしても、必ずしもそれがうまくいくわけではありません。ときには失敗することもある。つまり「こんなこと、やらなければよかった」と思うこともあります。しかし何かをやって失敗したということで、こんなことをしなければよかったという後悔の想いは、月日がたてば必ず消えていきます。つまり、やったことによって失敗したことは反省として残るけれども、消えていくのです。しかし、やらなかったことによって残した後悔は、いつまでも消えないのです。(第三章 人生について 「凡事徹底」より)  人間には〝心田〟――心の中の田というものがあります。この心の中の田がごみだらけだと、人間というものはまったく余裕もゆとりもなく、絶えず何かに追われているような人生になってしまうのです。  まず、自分の心の中の田、心田の雑草を取ってきれいにする、ごみを取り除いてきれいにする。そのとき、初めて正しい判断もできるようになって、心にゆとりが生まれてくるのです。(第三章 人生について 「凡事徹底」より)  なんでもかんでも、小さな努力で大きなものを手に入れる、つまり努力以上のものを手に入れるようになると、人間は無感動になるのです。逆に努力を重ねて、その結果として成果を手にしたとき、うれしくて感動する心が、感謝とともに生まれてくるのです。  感動する人は、感謝もする。感謝のできる人は、感動もする。ところが最近の人は、努力以上のものを持つことができるようになって、無感動な人が増えてきているのです。(第三章 人生について 「凡事徹底」より) (文責:育鵬社編集部O)
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