「中国の手先だった日銀は討った」憲政史研究者・倉山満
6月4日、八重洲ブックセンターにて『嘘だらけの日中近現代史』を上梓した倉山満氏の新刊発売記念講演が行われた。その模様をダイジェストでお伝えする。
⇒【前回の記事】はこちら
『憲政史研究者・倉山満が「中国の嘘」をさらす』 https://nikkan-spa.jp/455075 「まず中国を懲らしめる方法についてお話ししたいと思います。これはもう簡単で、『無視する』――これに限ります(笑)。基本的に日本は、ああいう人たちとはかかわっちゃいけなかった。だから、聖徳太子以来つとめてかかわりを避けてきたわけです。昔の人は偉いですね。歴史書をひも解いても、『漢書』地理志以来、『宋書』倭国伝ぐらいで、基本的にはかかわらない。これだけなのですが、今回は『無視する』に加えて『滅ぼす』もお話ししたいと思います」 ――そもそも、敗戦後になぜ日本は中国とかかわることになったのでしょうか? 「おじさん世代には絶大な人気のある政治家に田中角栄という人がいます。確かに、自民党の幹事長時代や大蔵大臣、通産大臣時代には実行力があった。貧乏人から出世する処世術とか、それは凄まじいものがあったわけです。しかし、1972年7月に総理になって何をやったかというと、日中共同声明です。たった3か月という短期間で国交正常化なるふざけたことをやってしまった。そもそも『正常化』ってなんでしょうか? 日本は昭和27年(1952年)に中華民国と平和条約を締結しています。中華民国とはちゃんと正常な国交があったわけです。それを、中華人民共和国が『あいつらは偽物だ』と言い張って、それに付き合ってしまった。中華人民共和国の都合に合わせて、中華民国との国交は『不正常』だから、改めて正常化しようと中華人民共和国と国交を結んでしまったのが運の尽きです」 ――この昭和47年(1972年)は昭和20年に次ぐ転機だったとも仰っています。 「昭和20年8月15日は、日本国が国ではなくてアメリカの持ち物になった日です。昭和47年は、中国がその持ち物にちょっかいを出してきた日になります。前著『嘘だらけの日米近現代史』では、敗戦国のままアメリカの悪口を言ってもしょうがないと書きました。アメリカがむかつくのはわかる。でも、その前にやることがあるだろう、と。昔、自民党は『アメリカの妾』と言われました。当時の佐藤栄作総理に向かって青島幸男という人が、『あんたはアメリカと財界の妾だ』と罵ったら、『バカ野郎、俺は本妻だ』と言ったとか言わなかったとか。そんな情けない時代から、昭和47年はより一層ひどくなりました。中国に援助交際で貢がされる時代の到来です。何なんだこれは、という状態。その後の日本には闇将軍がいっぱい現れます。田中角栄、竹下登に白川方明……政治も経済も自民党親中派に乗っ取られてしまいました」 ――米ソ冷戦時代はそれでもよかったのかもしれません。 「自民党はCIA、社会党はKGBからお金をもらって八百長政治で済んでいた。面白いのは、ソ連の侵略を防いだのは社会党だったことです。なぜなら、ソ連が『こいつら本気で共産主義を信じてる』とバカにしていたからです。社会党はソ連が望まないような破壊工作をやってしまうので、誰も本気で取り合わなかったという(笑)。政治はそんな感じで、自民党と社会党が米ソからお金をもらって融通し合う八百長談合体制だった。自民党は絶対に政権に居たい政党です。社会党は政権をとるのは怖いんだけれども、憲法改正だけは反対したい。自民党は衆議院で51%欲しくて、社会党は衆参どっちでもいいから1/3以上の34%が欲しい。すると、両方で90%近く占めちゃうから八百長が成立するんです」 ――社会党の存在そのものが日本の民主主義を腐らせた、と言える一方で、冷戦を乗り切るにはこんないい体制はなかった、と。 「ところが、問題は冷戦の後半です。アメリカとソ連が張り合っているなかで、中国はソ連連営にいるのかと思っていたら、中ソ論争が起きた。社会主義の正しい在り方について論争をやるのですが、中身は『ツァーリと皇帝どっちが偉いか』みたいな話です。毛沢東とフルシチョフが『俺は皇帝なのに、あのツァーが威張ってるのは許せない』みたいなレベルの争いを始めました。すると、アメリカはチャンスだから中国と仲良くしようと。その結果、米・中・日対ソ連という構図になるわけです。この昭和47年の自民党総裁選というのがターニングポイントで、田中角栄が最終的に勝つんですけど、自民党内に親中派と親米派が生まれる。ソ連は自民党に入り込めないけど、中国はすいすいと入り込めちゃった」 ――そもそも、アメリカは日本のことを持ち物だと思っています。だから、その持ち物に中国が入ってきてもあまり気にしなかったと。 「平成に入ってからさらにひどくなったのは、日本銀行がデフレ政策をやりました。これは日銀を独立させて、総理大臣よりも強い地位、裁判官並みの身分保障があって、しかも関東軍よりも独走ができるというレベルの存在に日銀がなりました。それをやったのが竹下登という名うての親中派です。陣頭指揮をとったのはこれまた名うての親中派の野中広務と橋本龍太郎。ちなみに、野中さんは最近また中国へ行ったらしいですね。もう正体バレバレという。ちなみに最近『赤旗』を見てると、加藤紘一さんと古賀誠さんが出ていました。もうカミングアウトしちゃったんですね(笑)」 ――なぜ日銀は中国の言いなりになっていたのでしょうか? 「日銀はなぜデフレ円高誘導をしてきたのか。白川さんを始め、その前の福井俊彦さん、さらにその前の速水優さんはとにかく頑なにお札を刷らなかった。デフレ脱却議連が民主党政権に抵抗して『白川、お札刷れ!』と言っても、そのたびに中国人民銀行の周小川(しゅうそうせん)総裁が『お札するなよ』と命令をしてくるので、実行しない。『日本の金融緩和は許せない』って、なんであんたに言われなきゃいけないんだって。冷静に考えたら白川さんの上司だったのでしょう。上司が部下に言うんだったらしょうがない(笑)。日本銀行は日本の銀行じゃなかった、ということです。反対に日銀がお札を刷らないことによって、中国はいくらお札を刷っても大丈夫な状態になりました。デフレ円高によってほぼ固定相場制のごとく元安が約束されますから、中国は元安で貿易黒字が続きます。日本に工場があると、同じものをつくっても高くなるので売れない。産業が空洞化します。それを一気に逆転する方法が安部さんの『日銀をとるのは天王山』だったわけです。日銀が中国の手先だとわかった以上は、軍事的でなく戦うしかない。金融というのは非常に重要で、日銀を動かすことができれば、これは核武装したのを同じくらい威力があるわけです。だから安倍さんは日銀にこだわった。日銀を手中にすれば、中国を『滅ぼす』ことは容易なんです(笑)」 ――日銀は中国の手先だったことが誰の目にも明らかになりました。 「15年間デフレで安倍さんが日銀にお札を刷れと言った瞬間、景気が回復軌道に入りました。東京から10大都市に向けて順々に派遣やフリーターの時給が上がり始めた。誰がデフレ不況の元凶だったかは明らかです。安倍さんが前の日銀総裁の白川方明さんに『お札刷れ!』と言ったら、なぜか、あくまでなぜかですよ。尖閣諸島に戦闘機とか軍艦が押し寄せてきました。しかし、いまや中国バブルは崩壊寸前です」 ――日銀が文字通り日本の銀行になったことで中国は別の手を打ってくるのでしょうか? 「中国が打つ手は三つあります。一つはチャイナ系ヘッジファンドが株価の操作を試みることです。アベノミクスそのものをひっくり返そうとすることです。いまも疑わしき状況があって、円安要因しかない局面でなぜか円高株安に触れています。日本が滅んで得する国は中国、韓国、ドイツくらいのものですが、ドイツも韓国も自由主義国ですから、やはり中国、中国、中国、北朝鮮になるでしょう(笑)。もう一つは、尖閣抱きつき作戦です。中国の得意技にプロパガンダがあります。特に歴史問題を持ち出すのが大得意。だから尖閣でさんざん日本を挑発して、日本が殴ったら、『ああ、日本に殴られた。昔と同じようにいじめられた』みたいなことを世界中にプロパガンダして、『歴史問題、頑張るアルヨ』とばかりに、バカなアメリカ人を騙して、他人の力を使って日本を制裁させるといシナリオです。日本は尖閣に関して絶対に挑発に乗ってはダメです。三つ目の作戦としては、安倍晋三の暗殺です。これは本気でやりかねません。中国の理想的なシナリオ、これは中国に限らず、日本を滅ぼしたい勢力の理想は、参議院選挙で安倍さんがボロ勝ちして『自民党は盤石政権』だと言ったあとに安倍さんが死ぬことなんです。なぜなら、安倍さんがいなくなれば、自民党はアホばっかりですから。いかようにでもなる。これは本当に困ります。チャイナ系ヘッジファンドの株価操作、尖閣抱きつき作戦、三つ目はちょっと特殊な話ですけど、これらに対して打つ手はいくらでもあります。結論からいうと、安倍さんが生きているかぎり大丈夫なんです」 倉山満氏の舌鋒は鋭さを増すばかり……。次回もご期待ください。 <取材・文/日刊SPA!取材班 撮影/石川徹> 【倉山満氏】 1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。中央大学大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、同大学で日本国憲法を教え現在に至る。2012年、希望日本研究所所長を務める。著書に『誰が殺した? 日本国憲法!』(講談社)、『検証 財務省の近現代史』(光文社)、『嘘だらけの日米近現代史』(扶桑社)など。HP「倉山満の砦(http://www.kurayama.jp/)」「倉山塾(https://kurayama.cd-pf.net/)」を主宰
『憲政史研究者・倉山満が「中国の嘘」をさらす』 https://nikkan-spa.jp/455075 「まず中国を懲らしめる方法についてお話ししたいと思います。これはもう簡単で、『無視する』――これに限ります(笑)。基本的に日本は、ああいう人たちとはかかわっちゃいけなかった。だから、聖徳太子以来つとめてかかわりを避けてきたわけです。昔の人は偉いですね。歴史書をひも解いても、『漢書』地理志以来、『宋書』倭国伝ぐらいで、基本的にはかかわらない。これだけなのですが、今回は『無視する』に加えて『滅ぼす』もお話ししたいと思います」 ――そもそも、敗戦後になぜ日本は中国とかかわることになったのでしょうか? 「おじさん世代には絶大な人気のある政治家に田中角栄という人がいます。確かに、自民党の幹事長時代や大蔵大臣、通産大臣時代には実行力があった。貧乏人から出世する処世術とか、それは凄まじいものがあったわけです。しかし、1972年7月に総理になって何をやったかというと、日中共同声明です。たった3か月という短期間で国交正常化なるふざけたことをやってしまった。そもそも『正常化』ってなんでしょうか? 日本は昭和27年(1952年)に中華民国と平和条約を締結しています。中華民国とはちゃんと正常な国交があったわけです。それを、中華人民共和国が『あいつらは偽物だ』と言い張って、それに付き合ってしまった。中華人民共和国の都合に合わせて、中華民国との国交は『不正常』だから、改めて正常化しようと中華人民共和国と国交を結んでしまったのが運の尽きです」 ――この昭和47年(1972年)は昭和20年に次ぐ転機だったとも仰っています。 「昭和20年8月15日は、日本国が国ではなくてアメリカの持ち物になった日です。昭和47年は、中国がその持ち物にちょっかいを出してきた日になります。前著『嘘だらけの日米近現代史』では、敗戦国のままアメリカの悪口を言ってもしょうがないと書きました。アメリカがむかつくのはわかる。でも、その前にやることがあるだろう、と。昔、自民党は『アメリカの妾』と言われました。当時の佐藤栄作総理に向かって青島幸男という人が、『あんたはアメリカと財界の妾だ』と罵ったら、『バカ野郎、俺は本妻だ』と言ったとか言わなかったとか。そんな情けない時代から、昭和47年はより一層ひどくなりました。中国に援助交際で貢がされる時代の到来です。何なんだこれは、という状態。その後の日本には闇将軍がいっぱい現れます。田中角栄、竹下登に白川方明……政治も経済も自民党親中派に乗っ取られてしまいました」 ――米ソ冷戦時代はそれでもよかったのかもしれません。 「自民党はCIA、社会党はKGBからお金をもらって八百長政治で済んでいた。面白いのは、ソ連の侵略を防いだのは社会党だったことです。なぜなら、ソ連が『こいつら本気で共産主義を信じてる』とバカにしていたからです。社会党はソ連が望まないような破壊工作をやってしまうので、誰も本気で取り合わなかったという(笑)。政治はそんな感じで、自民党と社会党が米ソからお金をもらって融通し合う八百長談合体制だった。自民党は絶対に政権に居たい政党です。社会党は政権をとるのは怖いんだけれども、憲法改正だけは反対したい。自民党は衆議院で51%欲しくて、社会党は衆参どっちでもいいから1/3以上の34%が欲しい。すると、両方で90%近く占めちゃうから八百長が成立するんです」 ――社会党の存在そのものが日本の民主主義を腐らせた、と言える一方で、冷戦を乗り切るにはこんないい体制はなかった、と。 「ところが、問題は冷戦の後半です。アメリカとソ連が張り合っているなかで、中国はソ連連営にいるのかと思っていたら、中ソ論争が起きた。社会主義の正しい在り方について論争をやるのですが、中身は『ツァーリと皇帝どっちが偉いか』みたいな話です。毛沢東とフルシチョフが『俺は皇帝なのに、あのツァーが威張ってるのは許せない』みたいなレベルの争いを始めました。すると、アメリカはチャンスだから中国と仲良くしようと。その結果、米・中・日対ソ連という構図になるわけです。この昭和47年の自民党総裁選というのがターニングポイントで、田中角栄が最終的に勝つんですけど、自民党内に親中派と親米派が生まれる。ソ連は自民党に入り込めないけど、中国はすいすいと入り込めちゃった」 ――そもそも、アメリカは日本のことを持ち物だと思っています。だから、その持ち物に中国が入ってきてもあまり気にしなかったと。 「平成に入ってからさらにひどくなったのは、日本銀行がデフレ政策をやりました。これは日銀を独立させて、総理大臣よりも強い地位、裁判官並みの身分保障があって、しかも関東軍よりも独走ができるというレベルの存在に日銀がなりました。それをやったのが竹下登という名うての親中派です。陣頭指揮をとったのはこれまた名うての親中派の野中広務と橋本龍太郎。ちなみに、野中さんは最近また中国へ行ったらしいですね。もう正体バレバレという。ちなみに最近『赤旗』を見てると、加藤紘一さんと古賀誠さんが出ていました。もうカミングアウトしちゃったんですね(笑)」 ――なぜ日銀は中国の言いなりになっていたのでしょうか? 「日銀はなぜデフレ円高誘導をしてきたのか。白川さんを始め、その前の福井俊彦さん、さらにその前の速水優さんはとにかく頑なにお札を刷らなかった。デフレ脱却議連が民主党政権に抵抗して『白川、お札刷れ!』と言っても、そのたびに中国人民銀行の周小川(しゅうそうせん)総裁が『お札するなよ』と命令をしてくるので、実行しない。『日本の金融緩和は許せない』って、なんであんたに言われなきゃいけないんだって。冷静に考えたら白川さんの上司だったのでしょう。上司が部下に言うんだったらしょうがない(笑)。日本銀行は日本の銀行じゃなかった、ということです。反対に日銀がお札を刷らないことによって、中国はいくらお札を刷っても大丈夫な状態になりました。デフレ円高によってほぼ固定相場制のごとく元安が約束されますから、中国は元安で貿易黒字が続きます。日本に工場があると、同じものをつくっても高くなるので売れない。産業が空洞化します。それを一気に逆転する方法が安部さんの『日銀をとるのは天王山』だったわけです。日銀が中国の手先だとわかった以上は、軍事的でなく戦うしかない。金融というのは非常に重要で、日銀を動かすことができれば、これは核武装したのを同じくらい威力があるわけです。だから安倍さんは日銀にこだわった。日銀を手中にすれば、中国を『滅ぼす』ことは容易なんです(笑)」 ――日銀は中国の手先だったことが誰の目にも明らかになりました。 「15年間デフレで安倍さんが日銀にお札を刷れと言った瞬間、景気が回復軌道に入りました。東京から10大都市に向けて順々に派遣やフリーターの時給が上がり始めた。誰がデフレ不況の元凶だったかは明らかです。安倍さんが前の日銀総裁の白川方明さんに『お札刷れ!』と言ったら、なぜか、あくまでなぜかですよ。尖閣諸島に戦闘機とか軍艦が押し寄せてきました。しかし、いまや中国バブルは崩壊寸前です」 ――日銀が文字通り日本の銀行になったことで中国は別の手を打ってくるのでしょうか? 「中国が打つ手は三つあります。一つはチャイナ系ヘッジファンドが株価の操作を試みることです。アベノミクスそのものをひっくり返そうとすることです。いまも疑わしき状況があって、円安要因しかない局面でなぜか円高株安に触れています。日本が滅んで得する国は中国、韓国、ドイツくらいのものですが、ドイツも韓国も自由主義国ですから、やはり中国、中国、中国、北朝鮮になるでしょう(笑)。もう一つは、尖閣抱きつき作戦です。中国の得意技にプロパガンダがあります。特に歴史問題を持ち出すのが大得意。だから尖閣でさんざん日本を挑発して、日本が殴ったら、『ああ、日本に殴られた。昔と同じようにいじめられた』みたいなことを世界中にプロパガンダして、『歴史問題、頑張るアルヨ』とばかりに、バカなアメリカ人を騙して、他人の力を使って日本を制裁させるといシナリオです。日本は尖閣に関して絶対に挑発に乗ってはダメです。三つ目の作戦としては、安倍晋三の暗殺です。これは本気でやりかねません。中国の理想的なシナリオ、これは中国に限らず、日本を滅ぼしたい勢力の理想は、参議院選挙で安倍さんがボロ勝ちして『自民党は盤石政権』だと言ったあとに安倍さんが死ぬことなんです。なぜなら、安倍さんがいなくなれば、自民党はアホばっかりですから。いかようにでもなる。これは本当に困ります。チャイナ系ヘッジファンドの株価操作、尖閣抱きつき作戦、三つ目はちょっと特殊な話ですけど、これらに対して打つ手はいくらでもあります。結論からいうと、安倍さんが生きているかぎり大丈夫なんです」 倉山満氏の舌鋒は鋭さを増すばかり……。次回もご期待ください。 <取材・文/日刊SPA!取材班 撮影/石川徹> 【倉山満氏】 1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。中央大学大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、同大学で日本国憲法を教え現在に至る。2012年、希望日本研究所所長を務める。著書に『誰が殺した? 日本国憲法!』(講談社)、『検証 財務省の近現代史』(光文社)、『嘘だらけの日米近現代史』(扶桑社)など。HP「倉山満の砦(http://www.kurayama.jp/)」「倉山塾(https://kurayama.cd-pf.net/)」を主宰
『嘘だらけの日中近現代史』 嘘にまみれた中国の正体 |
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ