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日本人元Jリーガーたちの本音 J2よりタイでプレーしたほうが幸せ!?

岩政&下地

リーグカップ優勝に大きく貢献した下地(左)と岩政

 これまでサッカー界で海外移籍といえば、本場ヨーロッパを目指すのが当たり前だった。しかし、その流れは近年変わりつつある。特に人気なのが東南アジアのタイで、昨年11月に閉幕した14年シーズンにはトップリーグから下部リーグ(3部)まで含めると60人以上の日本人選手がプレーしていたのだ。  聞けば、1部に当たるタイ・プレミアリーグ(TPL)は昨年著しい成長を見せており、09年にわずか11万人だった年間のスタジアム観戦者数は13年には約165万人にも達したという。  昨オフには元日本代表の岩政大樹や茂庭照幸、西紀寛らが移籍したことで日本でも話題となった。オランダのフェンロからスパンブリーに移籍し、タイで初めてのシーズンを終えたカレン・ロバートもそんな一人。TPLにどんな印象を持ったのだろうか。 「来る前は、どんなリーグかまったく知らずに『えっ! タイ?』と思ったけど、来てしまえばそんなに問題はなかったです。日本と技術的に大きな差があるわけではないですが、戦術などがアバウトで、『ゴール前でなんでフリーにさせるの?』という場面はよくある(笑)。やっているほうはキツイですが、見る分には楽しいと思います」  スパンブリーは首都バンコクから120kmほど離れた地方都市だが、オーナーのシラバアーチャー氏は地元の名士で、タイ国内でもリッチなクラブとして知られている。カレンのサラリーもおよそ4000万円との報道があったが、実際はどうなのか。 「そこまではもらってないですよ(笑)。ただ、うちのオーナーは相当の権力者みたいで、勝利給は多いときには20万円を超えることも。(日本の約3分の1という)物価の安さを考えれば、年俸は僕史上では最高です。ヘタすればJ1の真ん中くらいよりいいかもしれない。J2などで燻っているならこっちでプレーしたほうが幸せじゃないですかね」  ’14年シーズン、TPLで日本人選手として初めて2桁ゴールを記録したのは前BECテロ・サーサナの下地奨だ。MFながらリーグ17ゴールを挙げる活躍で、リーグカップも制覇。来季はより好条件での移籍も勝ち取った。  ’11年、当時J2だった鳥栖を退団後、家族とともに南米のクラブを渡り歩くも結果を残せず。帰国時には貯金も底を突き、まだ幼い娘を抱えながら、妻にはパートに出てもらい、自身も銀座のクラブでボーイのアルバイトをするなど、一時はサッカーをあきらめかけた。だが、’13年のタイ移籍で、状況は一変した。 「タイリーグは想像以上に盛り上がっていますし、今がプロになっていちばん充実しています。南米から戻ったときは、本当にお金がなくて、100円のおにぎりさえ我慢したときがあった。タイでは結果を出せば、純粋に稼げるし、僕自身日本にいたときよりも生活レベルは上がりました。ただ、簡単なリーグではないですし、Jリーガーが軽い気持ちで来て、活躍できるほど甘い世界ではないと思います」 ◆「タイは甘い場所ではなかった」元日本代表が語った苦難の1シーズン  タイサッカーの華やかな部分がクローズアップされる一方で、苦しいシーズンを送ったひとりが西紀寛である。ジュビロ磐田の黄金期にJリーグ優勝を経験し、’04年には日本代表でもプレーした西だが、「誘われたまま、深く考えずに飛び込んだ」タイリーグは決して甘い場所ではなかったと振り返る。 「レベル的には、日本に比べると下がるのは間違いないですが、外国人選手にとってはシビアですよ。僕のチームはフランス人、ブラジル人、スペイン人、モロッコ人のアタッカーがいて、ポジションを争うのはタイ人ではないですから。それにタイリーグは、とにかくオーナーの力が絶対で、僕が所属していたチームは1シーズンで監督が5人も代わりました。それもすべてオーナーの気分次第。もちろん選手起用にも当てはまり、僕もとばっちりを受けました」  開幕戦こそ先発出場したものの、その後は出場機会に恵まれず、リーグ後半戦は完全にモチベーションを失ってしまっていたと話す西。何よりもオーナーとの距離が大事なのに、西はオーナーからの食事の誘いを断ってしまったのだとか。 「それが仇となったんです。タイ人選手は、僕の行動を見てビックリしていましたから。片やオーナーの気持ちをガッチリ掴んでいたフランス人選手は、シーズン中に何度も特別休暇をもらって帰国しておきながら、試合直前に戻ってきて即先発してましたからね」  日本人選手の“厚待遇ぶり”も伝えられるが西はどうだったのか。 「これもクラブというかオーナー次第。サラリーも僕自身はJ2(東京V)時代よりダウン。日本でどう報道されていたかはわかりませんが、確かに岩政と茂庭は結果を出しましたけど、これだけ多くの日本人選手がいれば全員が結果を出せたわけではない。スタジアムや練習場にしても、いったい何年前に作ったんだっていうところもある。気候的にも試合や練習中にスコールに直撃されることは日常茶飯事。コンディションも難しいんです」  残念ながら西の所属していたポリス・ユナイテッドはリーグ16位に終わり、来季2部への降格が決定、契約も延長されなかった。だが、西はオファーがあれば、もう一度タイで勝負したいと話す。 「やっぱりJ1の舞台に戻りたい気持ちもあるけど、現実的に考えると難しい。だからオファーがあれば、もう一回タイでやってみたいと思っています。サッカーを通じて、外国で見聞を広げたいという思いもありますし、昨季は呼ばれるまま訳もわからずスパイクだけ持っていくという形だったので」  西の率直な経験談も、タイリーグの現状を表しているのは確かだ。 ※この記事は、週刊SPA!1/13・20合併号の特集『タイ&インドに日本人[元Jリーガー]が殺到中』から一部抜粋したものです。 取材・文/栗原正夫 撮影/ヤナガワゴーッ!
週刊SPA!1/13・20合併号(1/6発売)

表紙の人/大島優子

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