3人組ハードロックバンド「
人間椅子」は活動27年目。昨今のブレイクの裏には、これまでの「売れない」「アルバイト生活」という苦しい時代があった。それでも音楽を続けてきた彼らにはさまざまな葛藤や苦悩があったはず。ギターヴォーカルを務める和嶋慎治氏は御年50歳。今回、哲学ナビゲーターでもある日刊SPA!で連載中のコラムニスト・原田まりるが「哲学」「創作」というキーワードをもとに、和嶋氏を
前編「哲学に出会うことで他人と死への恐怖が薄れた」に続き直撃した。
死んでから作品が評価されるかもしれない
原田:それだけ長く音楽一筋でやられてきて、和嶋さんは音楽をつくることを“天命”と感じられますか?
和嶋:僕はモノづくりというのは天命だと思っていますよ。子供のときになりたいと思ったのが絵描きさんだったんですよ。作家もいいなぁって思った。とにかくクリエイティブな仕事をしている人になりたいって強く思っていました。もしかしたら前世があるなら、そういう仕事をしていたかもしれない。不思議ですが、自分じゃない感覚のインスピレーションというのがモノづくりをしているときに芽生えるんです。詞を書くときは、それがないと作れない。それが僕にあるってことは、天命だったのかなと思いますね。エラそうに聞こえるかもしれないけど、そういう「神からの贈り物」がない人の作品ってわかるんです。もちろん、天命のある人の作品もわかります。それは売れている売れていないは関係ない。売れているからあるかっていうと……、言いづらいけどなかったりするわけですよ。
原田:才能がある人というのを、「天命があるか」という基準で見るわけですか。
和嶋:(天命が)ない人は一瞬で底の浅さがわかっちゃう。これは絵や小説など、いろんなジャンルでも言えますね。本当に才能がある人は亡くなった後でも評価され、ずっと残っていく人がそうですね。
原田:現世では受け入れられなかったものが、亡くなってから認められる、注目されることって多いですよね。
和嶋:本物の芸術家ってそうなんです。だから、どうせ死ぬんだからなにやってもいいってわけじゃない。死んだ後のことも責任をもたないといけない。実は僕が好きな作品を作る人って、多くが亡くなってから評価された人なんです。「あぁ、だったら俺もそうなっちゃうのかな」って(笑)。
原田:ニーチェも死後に妹のエリザベートによってより世の中に大きく広がりましたもんね。
和嶋:あと、宮沢賢治も生前は無名だったけど、神の贈り物を持っている人でしたね。ところで、僕自身がやっているロック音楽は、大衆文化なんです。生まれてわずか50~60年の若い文化。そのなかでアートをやるって非常にチャレンジだと思う。だって売れなきゃロックじゃないから。そういう意味でも、ビートルズはアートですね。爆発的に売れたし、世界に残る価値があるから。ロックは本来、死んでから評価されるってなかなか難しい分野なんですよね。大衆文化なだけに忘れられやすいというか。もちろんジミ・ヘンドリックスのような、死んでからさらに有名になった人もいますけど。ただ、アート全体ではそんな感じあるよね。ゴッホの生前に売れた絵って1枚だけだもんね。
原田:売れるものを作ろうとする気持ちと、好きなものを作りたいという気持ちは別ですか? 芸術品と商品は違うといいますか。
和嶋:気持ちは、ゴッホの絵を描くつもりでやっていますよ。できるだけあの領域になれるようなものを作りたいと思って。気持ちはそうありつつ、より生活できるようになりたいなと思ってやっています。
原田:じゃあ、死は一つのターニングポイントってことなんですね。
和嶋:死は「人生の〆切」だと思っています。あ、なんか今、突然浮かんできた言葉ですけども、たしかに〆切が見えるようになりましたね。50歳ですから。それこそ20~30代の頃は、「死」という〆切を意識しないから、時間は無制限にあると錯覚していました。それこそ自堕落で、いろいろと先延ばしにしちゃって、うまくいきませんでした。自分の能力が100あるとしたら70しか出せていないような感じ。あの頃はもがいていましたね。バンドも低迷期でしたし。今は、〆切を意識できるようになったから、100のパワーを出せるようになったんです。
原田:若いうちにそのパワーを発揮できたら、と思うんですが、コツはありますか?
和嶋:コツがあるとすれば、作品は作り続けるってことですかね。まさに「継続は力なり」なんですが、創作をやりたいと思ったら、作り続けないとダメですね。いったんその手をストップさせてしまうと、前の状態に戻るのは難しいですからね。
原田:モノづくりをするひとって、自分の持つ感性を大事にしたいからって、世間からあえて遠ざかることがありますよね。山にこもったり、隠居生活をしたり。でも、和嶋さんは、世間と向き合いながら作っていて。それはどういうバランスでできるものなんですか?
和嶋:もちろん作るときは集中する環境を整えます。でも隠居はしないかな。だって、誰に対して作品出すんだってことですよね。世の中の人に見てもらいたいからですよ。だから社会にはやっぱり心を開いていかないとダメだと思うし。社会の末席に置いてもらいたい、というバランスでやっています。
原田:私自身、自分の確固たる価値観はあるほうなんですが、外の世界と触れるとよくわからなくなることがあります。他人の言う価値観はたしかに大事なんだけど、自分にとってそれほど大事じゃないって価値観を力説されると、なんというか悲しくなってしまうんです。これって、流されてしまうってことなんでしょうか?
和嶋:悲しくなるっていうのは、流されていないんじゃないですか?
原田:私も物事を深刻に考えてしまうタイプなので、そうじゃない生き方をしている人に対してうらやましさがあるのかもしれません。ルサンチマン的な発想かもしれませんが。そんな風に流されるように生きていけば、無駄な苦労を味わわなくて済んだのかなぁ考えることもあります。和嶋さんも、自分は面倒な生き方をしているなって思うことはありませんか?
和嶋:思いますよ。ただ、もしかしたらそんな自分を悲観することもないかもしれないんです。だって、表現する人ってその意識がないとダメかなって思うから。表現するってことは周りと違うってことなんだし、周りに対して、何らかの美しさを見せるってこと。自分を持って生きることが人間だっていう考えがないと、表現なんかできないですよ。たしか、『
ゴッホの手紙』に書いていた気がするんだけど、キリストは最高の芸術家だって。たしかに、生きるってことを行動で表した人だからね、キリストは。
原田:和嶋さんは、表現以外に楽しみってあるんですか? プライベートとか。
和嶋:山にキャンプに行くことですね。休みの日があったら車を使って一人で山に行くんです。山を独り占めしているというか、自然と一体感を感じるわけ。自然と自分が一つっていう感じがいいですね。自分も地球のなかの一員。宇宙の物質でできていると実感するわけ。あの嬉しさは、麻薬のような感じです。
原田:都会に戻ってきて、その気持ちを持ったまま、戦い続けるんですね。
和嶋:ニーチェの著作『
ツァラトゥストラ』はかっこいいんですよ。あれは山にこもり、下りてくる話だからね。だから僕は山に行くんです。焚き火も楽しいしね。だいたい修行って山のなかで一人でするものだからね。原田さんもそんな楽しみはあるんですか?
原田:私もスキーが好きで、よく雪山に行きます。ちょっと俗世から離れられるという感覚があります。雪山にこもりたいですね。
和嶋:自然って神聖なものを持っていますよね。現代人はちょっとその感覚を忘れちゃっていますからね。雪山にこもりたい気持ちわかりますよ。創作に充てたいですよね。
原田:詞を書くとき、自分は天才だなって思うことはありますか?
和嶋:あります。書く人はみんなそうだと思う。「これ書いたの誰だ? 俺だよ」ってことがよくある(笑)。クリエイティブなものって神様なんだと思う。
原田:何かを作っているときって、神が宿る瞬間がありますよね。出口が見えるというか、筋道を発見できる瞬間というか。
和嶋:僕、タバコだけは止めらないんです。禁煙していたときに書いた詞が、なんだか毒がなかった。これはなんてつまらない曲なんだと全部書き直そうと思ったとき、「なんか、もう吸ってやるか」ってタバコをくわえて書いたら、急に別人のような詞が出来上がったわけ(笑)。あれにはびっくりしましたね!
原田:それが和嶋さんの神を憑依させるときのコツの一つなんですね!
【和嶋慎治】
1965年、12月25日生まれ。青森県弘前市出身。高校時代の同級生である鈴木研一(ベース)と人間椅子を結成。ギターとヴォーカル、作詞作曲を担当する。近年は、ももいろクローバーZの楽曲のギターとして参加したり、声優・上坂すみれへの楽曲提供もする。和嶋慎治監修のムック本「
和嶋慎治 自作エフェクターの書『歪』」も発売中。人間椅子の最新アルバム「
怪談 そして死とエロス」は2月3日発売。2月19日からは全国ツアーを開始
【原田まりる】
1985年、2月12日生まれ。京都市出身。コラムニスト。哲学ナビゲーター。高校時代より哲学書からさまざまな学びを得てきた。著書は、『
私の体を鞭打つ言葉』(サンマーク出版)。レースクイーン、男装ユニット「風男塾」のメンバーを経て執筆業に至る。哲学、漫画、性格類型論(エニアグラム)についての執筆・講演を行う。Twitterは
@HaraDA_MariRU
原田まりる オフィシャルサイト
https://haradamariru.amebaownd.com/
<取材・文/小野麻衣子 撮影/渡辺秀之>