沈黙を守るホーガンと旧友たちの証言――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第119回
ビンスは、WWEの姉妹カンパニーとしてプロ・ボディービル新団体WBF(ワールド・ボディービルディング・フェデレーション)の設立に動いていた。アメリカのボディービル界の“家元”はジョーとベンのウィダー兄弟のIFBB(インターナショナル・フェデレーション・オブ・ボディービルディング)だったが、ビンスはこのIFBBから主力選手をごっそりと引き抜き、ボディービルの“WWE化”をもくろんでいた。
“ドラッグ・フリー・スポーツ・エンターテインメント”というスローガンはWWEの新しいイメージ戦略であるとともに、WBFの団体コンセプトでもあった。ビンスは「WBF所属のボディービルダーは全員、ドラッグ・フリー」であることを強調したが、“ステロイド疑惑”のさなかでのドラッグ・フリー宣言はどこか唐突な印象を与えた。
“渦中の人”となってしまったホーガンは、マスメディアのインタビュー取材にはいっさい応じず、かたくなに沈黙を守りつづけた。ビンスは“負傷”を理由にホーガンを全米サーキットから欠場させた。
ホーガンはマスメディアを通じてのある一定の“説明責任”を果たすべきだったかもしれないが、WWEはホーガンをあえて“隔離”することで事態の沈静化を待った。
巨大動画投稿サイト、ユーチューブで“WWEスキャンダル1992”“WWE Scandal 1992”というキーワードを検索すると、この当時のテレビ番組の映像を数多く発見することができる。そして、“ステロイド疑惑”の直後、もうひとつの大きなスキャンダルがWWEを襲った――。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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