忙しすぎるビンスの3つのアジェンダ――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第120回
1991年10月、WCW/NWAはジョージア州アトランタの裁判所に“フレアー・ベルト”の使用差し止め仮処分申請をおこない、これを認めた同裁判所は「WCWが知的所有権を保有するチャンピオンベルトの使用をただちに中止すること」をWWEに警告した。
WWEはテレビ番組のなかで“フレアー・ベルト”が登場するシーンでは画面にモザイクをかけるという対応をみせたが、フレアーがWWE世界王者となったことで、このベルト問題には自動的に終止符が打たれた。ビンスにとっては“フレアー・ベルト”はわざわざ裁判で争うほどのアイテムではなかった。
WBF設立に関してはWWE内部でも賛否両論が渦巻いていた。ボディービルのエンターテインメント化をライフワークのひとつと考えていたビンスは、TVシリーズ『超人ハルク』で主役を演じたボディービルダーのルー・フェリグノをWBFの看板タレントとして獲得。さらにWCWからレックス・ルーガーを引き抜き、プロ・ボディービルダーに変身させる計画を立てた。慎重派は「ボディービルのPPVをいったいだれが観るんだ?」と首をかしげた。
“ステロイド疑惑”のさなかでのボディービル新団体の設立はいささか無謀だった。ビンスは“ドラッグ・フリー・スポーツ・エンターテインメント”という新スローガンどおり、WWEとWBFの契約選手全員にドーピング検査を実施し、その自浄力を社会にアピールした。しかし、こんどは“ホモセクシャル・ハラスメント”というとんでもないスキャンダルがWWEを包囲した。(つづく)
https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
※この連載は月~金で毎日更新されます
文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ