ビンスがホーガンの“引退ドラマ”を演出――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第122回
ビンスは年間最大イベント“レッスルマニア8”(1992年4月5日=インディアナ州インディアナポリス)のプランニングをすすめていた。“ステロイド裁判”から派生した数かずのスキャンダル報道により、ホーガンのヒーローとしてのイメージに大きな傷がついてしまったことはまぎれもない事実だった。
ビンスは、ホーガンの“引退ドラマ”というとっておきのシナリオをひねり出した。“レッスルマニア8”のロケーションはインディアナポリスのフージャー・ドーム。6万人収容のスタジアムを超満員にするにはそれなりの仕掛けが必要だった。
メインイベントは、ホーガン対セッド・ジャスティスのシングルマッチ(ノンタイトル)。ビンスはこの試合をホーガンの“ホーガンのラストマッチか――?”としてプロモートした。やっぱり、プロレスファンはやさしかった。“引退”がキーワードになったとたん、ホーガンの立ち位置は“疑惑のスーパースター”から“悲劇のヒーロー”へとシフトチェンジした。
このとき、ホーガンは“引退”ではなく約半年間の休業とそののちのカムバックを希望していたとされるが、ビンスはあくまでも“引退ドラマ”にこだわった。このわずかな認識のちがいのようなものが、やがてふたりの関係を破綻させた。ビンスはすでにポスト・ホーガンの新路線づくりに着手していた。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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