ビンス無罪“ステロイド裁判”エピソード05=ホーガンとビンスは友人?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第158回
もともとプロレスラー志望だったビンスは、40代になってから本格的にボディービルディングに打ち込むようになった。ビンスとホーガンは1988年4月から8月までの約5カ月間、ホーガンの初主演映画『ノー・ホールズ・バード』(邦題『ゴールデンボンバー』)の撮影のためジョージア州アトランタに滞在。この時期に、ビンスは毎日いっしょにジムでトレーニングをするようになったホーガンのレクチャーを受け、生まれて初めてステロイドを使用したという。
検察サイドが組み立てたストーリーでは、ステロイドはあくまでもザホリアン医師からビンス(とタイタン・スポーツ社)、タイタン・スポーツ社からホーガンという順番で販売・流通されたはずだったが、じっさいにはステロイドの効力とその“正しい使い方”をビンスに教えた張本人はホーガンのほうだった。
ビンスの弁護人、ジェリー・マクデビット弁護士の①ビンスから『選手にステロイドを売ってください』と依頼されたことはあるか②ステロイドを販売・流通することでタイタン・スポーツ社(またはビンス)からボーナスなどが支払われたことはあるか③タイタン・スポーツ社はステロイドの販売・流通において利益供与を受けていたか、という3つの質問に対しザホリアン医師はいずれも「ノー」と答えた。
検察側の証人のザホリアン医師がこの3つの質問にすべて「ノー」と答えたことで、ステロイドの販売・流通はビンスとタイタン・スポーツ社による会社ぐるみの犯行だった、とするショーン・オシェー検事の“シナリオ”の土台が崩れた。
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