更新日:2022年07月24日 17:45
スポーツ

ニュー・ジェネレーション路線の“青写真”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第180回

 地方分権システムが30年以上もつづいたもっとも大きな理由は、全米各地に点在するプロレス団体のテレビ中継がそれぞれのエリアのローカル・テレビ局だけで放映されていたことだ。テキサスにはテキサスのプロレスがあり、フロリダにはフロリダ、テネシーにはテネシーのプロレス、オレゴンにはオレゴンのプロレスがあって、その土地に住むプロレスファンにとっては地元のプロレスだけがただひとつのプロレスだった。  この地方分権システムを根底からひっくり返したのは、1980年代前半に起きたケーブルTVの一般家庭への爆発的な普及だった。いちばん最初にアメリカじゅうのプロレスファンから絶大な人気を得た全米中継番組はTBS(ターナー・ブロードキャスティング・システム)が毎週土曜の夕方にオンエアしていた“ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング”だった。ケーブルTVの普及は、プロレスファンに地元のプロレス団体だけがプロレスではない、という現実を突きつけた。  ビンスはこのケーブルTVという新しいメディアをひじょうにスマートに利用した。それまで東海岸エリアのテレビ視聴者向けに制作していたWWEのTVショーを全米の視聴者を対象とした番組にリニューアルし、ケーブルTVの電波に乗せた。  これと同時進行でビンスは“Bショー”と総称される1時間ものの番組をいくつかプロデュースし、これらをシンディケーション・パッケージとして全米のローカル局に番組販売していった。この“2層式”のメディア戦略により、アメリカじゅうのどこの州でも毎週、WWEのTVショーが放送されているというシステムが確立したのだった。ここまでが“1984体制”の初期モード設定ということになる。
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ホーガンを新しい主役に、全米ツアーを開始
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