ニュー・ジェネレーション路線の“青写真”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第180回
ハルク・ホーガンがアイアン・シークを下し、初めてWWE世界ヘビー級王座を獲得したのも1984年だったことはいうまでもない。WWEはホーガンを新しい主役に全米ツアーを開始し、それまでNWAエリア、AWAエリアとカテゴライズされていたフロリダ、ジョージア、テキサスなどの南部エリアからミネアポリス、シカゴ、デンバーなどの中西部、ロサンゼルス、サンフランシスコの西海岸エリアにも進出。その興行テリトリーをいっきに全米に拡大した。
ビンスにとって“1984体制”から10年後にあたる1994年の最大の事件は、やはりホーガンの退団だった。WWEは数年まえからホーガンの引退――WWEのマネジメントによる俳優転向のプランを立てていたが、結果的にホーガンとビンスは袂を分かった。ビンスはホーガンに“別格”のポジションを用意しようとしたが、ホーガンは“主演”ではないところで試合をすることを完全に拒否した。
ホーガンが消えたことで、逆説的ではあるが1990年代のニュー・ジェネレーション路線がいっきに具体化した。キーパーソンはディーゼル(ケビンン・ナッシュ)、ショーン・マイケルズ、ブレット・ハートの3人だった――。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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