“デスマッチ”カクタスがWWEと契約――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第217回(1996年編)
デビューは1986年で、無名のルーキー時代はアラバマ、ダラス、ネテシーの南部エリアをサーキット。ダラスWCCW(ワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング=フリッツ・フォン・エリック代表)のリングでは、実在したカルト宗教の教祖で“シャロン・テート殺人事件”の犯人チャーリー・マンソンに風貌がよく似ているという理由からカクタス・ジャック・マンソンというあまりうれしくないリングネームをつけられたこともあった。
日本におけるカクタスの知名度とそのステータスを絶対的なものにしたのはインディー団体IWAジャパンが開催した“キング・オブ・デスマッチ・トーナメント”(1995年8月20日=神奈川・川崎球場)であったことはいうまでもない。
カクタスはテリー・ファンクを下し同トーナメントに優勝。このトーナメントの模様を収録したビデオの“海賊版”がアメリカのマニア層のあいだで大量に流通したことで、カクタスはいっきにカルト・ヒーローに変身した。
カクタス・ジャックというレスラーのいちばんのセールスポイントは、いわゆるクレージー・バンプだった。WCW在籍中、カクタスが場外のコンクリートのフロアで危険なバンプ=受け身をとっているところを目撃したリック・フレアーが「キミがそんなことをやってもだれも喜ばないし、だれも評価しない」とカクタスに忠告したという不思議なエピソードも残されている。
“デスマッチ・トーナメント”優勝後、カクタスはハードコア団体ECW(エキストリーム・チャンピオンシップ・レスリング=ポール・ヘイメン代表)をアメリカ国内でのホームリングに選び、フィラデルフィアのECWアリーナ定期戦やニューヨーク・エリアのハウスショーなどで“師匠”T・ファンク、サブゥー、サンドマンらと名勝負を演じた。
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