レーザー・ラモンとディーゼルが突然WWE退団へ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第214回(1996年編)
レーザー・ラモンことスコット・ホールが約3カ月の契約期間を残したままタイタン・スポーツ社(WWEの親会社=当時)に契約解除―退団を申し入れたのは1996年2月。2.19“マンデーナイト・ロウ”(オハイオ州シンシナティ)、2.20“WWEスーパースターズ”(ウエストバージニア州ハンティントン)の2日間のTVテーピングを最後にWWEのリングから突然、姿を消した。
ホールはWWEとの5月末日の契約切れを待ち、ライバル団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング=ジョージア州アトランタ)への移籍を決意していた。
WWE脱退の理由は“背広組”との衝突とされた。“背広組”のトップがビンス・マクマホンであることはいうまでもない。ビンスとホールはそれまでも何度かオフィスのドアを完全に閉めきった状態でのプライベート・ミーティングをつづけてきたが、ホールは契約更改を希望せず、ビンスもまたホールをなんとしてでも引きとめようとはしなかった。
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