更新日:2017年11月16日 20:10
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革命を目指した同志12人をリンチ殺害…連合赤軍・植垣康博が当時を振り返る【大量殺人事件の系譜】

27年間を獄中で過ごした植垣氏が今思うこと

植垣康博 1972年2月、幹部だった森恒夫と永田洋子が下山中に逮捕。植垣氏も買出しに町へ出た際に逮捕された。その直後、残った坂東國男ら5人は、人質を取って「あさま山荘」に立てこもり、銃撃戦で警官や民間人計3名を射殺した。警察の強行突破で全員が逮捕されたのは10日後だった。その様子をライブ中継したNHKは、視聴率89%を記録した。  理想郷の建設を目指したものの、誤った設計図に従った、狂信的で世相にあらがった闘争は、次第に閉塞状況に追い込まれ、来るべくして来た終焉に至ったのだ。逮捕された幹部の森は勾留中に自殺、永田は死刑判決後に獄中で病死した。あさま山荘事件をも起こした坂東は1975年、日本赤軍のクアラルンプール米大使館占拠事件で、超法規的措置によって釈放されリビアに出国。現在も国際手配中である。  殺人や死体遺棄、強盗などの罪で27年間を獄中で過ごした植垣氏は、1998年に出所し、現在は静岡市でスナックを経営している。連合赤軍の元兵士・植垣氏は静かに事件を振り返り、こう語った。 「仲間を殺害してしまったことに、もちろん責任を感じています。僕らがやってしまったことの意味を、僕自身がどこまで『総括』できているのか。そのことが今、最も大切だと思っています。武力闘争も連合赤軍の方向性も間違いだった。仲間の命を奪ったという重い罪を背負いながら、僕はどう生きていくか。それが問われていると考えています」  その総括のため植垣氏は今、長い原稿の執筆中で、完成間近だという。 <取材・文/青柳雄介>
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兵士たちの連合赤軍

植垣康博の自伝的記録

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