第7代大統領 アンドリュー・ジャクソンの「功罪」から読み解くトランプ政権
――トランプとジャクソン、この2人の大統領には「共通点」が多いと言われています。
西山:ジャクソンの場合は上下両院でそれぞれ議員を歴任していますので、まったく政治経験のないトランプとは状況が違いますが、「共通点」を挙げるとしたら、2人ともそれまで続いていた政党政治のあり方を大きく変えるきっかけとなった大統領だと思います。ジャクソンが大統領となった1830年代以前は、ホイッグ党とデモクラティック・リパブリカンの二大政党時代でしたが、すでにホイッグ党は消滅しかけており、事実上、デモクラティック・リパブリカンの一党がアメリカの議会政治を引っ張っていました。ジャクソンは最初に1824年の大統領選に名乗りを上げます。予備選挙がなかった当時、候補者は党の幹部会で選出されていたのですが、このとき幹部会のボスたちが「ろくな候補者がいない」と参加をボイコットする事態となりました。仕方なく、ジャクソンを含む4人の候補は選挙をすることになり、ジャクソンは一番多くの票を集めたものの、過半数には届かなかった。そこで決戦投票をしたのですが、2位と3位の候補が「談合」をしたため2位の候補が大統領になったのです。これが、第2代大統領ジョン・アダムズの息子、ジョン・クインシー・アダムズでした。そのため、東部エスタブリッシュメントで世襲、しかも「談合」で大統領になったという経緯もあり、当時としてはかなりの批判の声が高まります。結局、1828年の次の大統領選では、東部エスタブリッシュメントで固められた既存政党への不満を取り込んでジャクソンが当選を果たしますが、この点が昨年行われた大統領選における「トランプ現象」と同じ構図だと思います。
気性が荒いという点でも2人の大統領は重なる。ジャクソンの人物像を説明するのに、もっとも有名な逸話は夫人を巡る「決闘劇」だ。39歳になった年、ジャクソンは、2人の結婚時期を巡って夫人に対して中傷を行った地元の新聞紙でジャクソンを「臆病者」と非難した者に対し決闘を申し込み、それを果たしている。1824年、ジャクソンが大統領選に勝利したことがきっかけとなり「民主共和党」は分裂。これを機に、ジャクソンの支持者は民主党を名乗るようになった。ジャクソンは、英語で「頑固な人」も意味する雄のロバ(Jackass)に引っかけて「ジャックアス」と呼ばれていたが、これが現在の民主党が冠するロバのシンボルとなっているのは有名な話だ。
――2人の大統領は、性格的な面でも似ているという見方もあります。
西山:荒っぽい人が国の未来を切り拓いたという意味で、2人は似ていると言われているが、実は、ジャクソンの性格は評価が分かれていて、本当に気性が荒いという人もいれば、すべてを計算づくで演じていたと分析している人もいます。夫人を中傷した相手との「決闘劇」も、互いに一発ずつしか撃てず、撃った後はその場を離れてはいけないという当時の決闘のルールを逆手に取って、ジャクソンは射撃の名手であった相手にわざと先に撃たせ、銃弾を受けるも、その後満を持して相手を一撃で仕留めたと伝わっています。一方のトランプも、病気になって入院している子供を見舞った際に、自身が務める人気リアリティ番組の名セリフ「ユー・アー・ファイヤード」(お前はクビだ!)を言ってほしいとお願いされ、何も言わずに静かに抱きしめたなんていう「美談」もあるほど。荒っぽく見えて、そういう計算高さを持ち合わせている点では、2人は近いのかもしれませんね。
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