更新日:2022年08月25日 09:06
スポーツ

ザ・ロック“ピープルズ・チャンピオン”の孤独――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第321回(2000年編)

 2000年の大統領選を目前に控えた共和党の全国大会にもゲスト・スピーカーとして――ジョージ・W・ブッシュ候補(当時)の応援――招かれた。ネットワークTVの“討論番組”にまでかり出され、ロックはその政治的な立場のようなものをさんざん問いただされた。  政治評論家の先生たちはプロレスラーを全国大会に招待した共和党のスタンスを徹底的に批判したし、民間団体もWWEのTVショーを“低俗番組”と位置づけ、ロックを政治の場にかつぎだした共和党を糾弾した。  ロックの主張は「(WWEには)1400万人の有権者がついているんだぜ」だった。この具体的な“数字”は毎週月曜の夜に“ロウ・イズ・ウォー”にテレビのチャンネルを合わせている18歳から34歳までの幅広い視聴者層を指していた。  いつのまにかアメリカのポピュラー・カルチャーを代表するパネラーのひとりに変身してしまったロックがひねり出した新しいキャッチフレーズは“ドント・シンク, ジャスト・ブリング・イットDon’t Think,Just bring it(つべこべ言うな、持ってこい)”だった。  ロックがどんなにイヤなやつを演じても、プロレスファンはそんなロックを観て狂喜した。右のまゆ毛をピクッとつり上げる十八番の“顔芸”を真似しようとしても、これだけはなかなかうまくできない。  観客の多くがロックから感じとっていた説明のつかないフィーリングは、おそらく理性の揺らぎだった。常識が役に立たない。ロックみたいな人間には日常生活ではめったにお目にかかれない。  しかし、スーパースターになればなるほどピープルズ・チャンピオンと観客、ピープルズ・チャンピオンとプロレスのあいだにはどうにもならない距離ができていった。そして、ハリウッドに“発見”されたロックはやがてプロレスを卒業し、ビッグ・スクリーンのなかに吸い込まれていったのだった――。
斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
1
2
3
おすすめ記事