更新日:2017年07月31日 17:25
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16年のヤクザ人生に終止符――組長室で交わした「極道引退」の顛末【沖田臥竜が描く文政外伝~尼崎の一番星たち】

すべてを察した文政がみせた“男の笑顔”

「オカンか。今日で親分が引退される事なってな。オレもカタギにしてもうたわ」  組長室から退室した私は、本部の外に出て母親に電話をかけていた。 「あんたは、もうそれでええのかっ?」 「かまへん」  電話の向こうから安堵のため息が漏れてきた。 「もうそれがええわ。ホンマに安心した。それがええわ。ひかちゃんにも電話したんか?」 「まだや。今から電話する」 「早よ電話したり。お母さん、ホンマに安心したわ。ホンマに安心した……」  二十一歳で人を殺めてしまい、踏みはずせるだけの道を踏み外して私は生きてきた。そんな私を母は何度も見捨てようと思ったはずだ。  それでも母は、見捨てなかった。 ―あんたは鬼の子や!―  と書き記した手紙を刑務所に座る(服役する)私に送りつけてきたりもしたが、母は見捨てなかった。受話器の向こうで、母は「安心した、ホンマに安心した」という言葉を何度も繰り返した。 「沖ちゃんは後悔せえへんの?」  ひかも母と同じ意味合いの言葉を受話器の向こうから尋ねてきた。ひかとの出会いが私の中の生き方を社会に少しづつ調和させて行ったのは、確かだった。 「ああ。後悔せえへん」  ヤクザをやっている事を、お母さんのえりちゃんとお姉ちゃんのゆまちゃんに知られてから、ひかは実家との縁を切られていた。それでも一度たりともひかは愚痴めいたことを口にした事がなかった。 「近い内に、えりちゃんとゆまに挨拶しに行こう」  と告げて、私は電話を切ったのだった。  翌日のこと。 「おう!兄弟!」  その声で文政が全てを察している事が分かった。留置場の面会室。アクリル板の向こうに座る文政は笑顔だった。 「兄弟オレ、カタギなったど」 「おう、赤シャツから聞いとる。親分も引退されたらしいの。でも兄弟、親分はどこまで行っても親分やろ?」  赤シャツとは文政が飼っている情報屋の事だ。 「そうや。引退しはっても、オレの親分は親分だけや」 「ほんなら、なんも変わらへんやないか」  豪快な男だった。彼には、カタギだからとかヤクザだからとか関係がなかった。 「で、これからどうすんねん、兄弟?」 「とりあえず、働きながら小説家を目指すわ」 「おう、それやったらワシを主人公になんか書いたらんかい。文政ファミリー全員に買わせたるから、売れること間違いなしやど」 「ああ、兄弟の悪行を全国にオレの筆で広めたるわ」 「それもありやの。ワシもそろそろプロからメジャー行きを考えとったとこや」  文政が答え、笑いあったのだった。  ヤクザとして、私は何も歴史に足跡を残せなかったかもしれない。  だがそこで確かに生きてきた。生きてきた時間があった。  ヤクザの道を選んだことに後悔もなければ、カタギの道に戻ったことも後悔はなかった。  カタギになって一週間後。私は知り合いの社長に頼み、人生で絶対やることはないだろうと考えていた現場仕事に出ていた。 「沖田さ~んっ!休憩してくだ~さいっ!」  私は「は~いっ!」と答え、作業の手を止め、首に巻いていたタオルで額の汗を拭った。  ここから始めよう。先のことなんてどうなるか分からないけど、ここから始めよう。そう思いながら、ポケットからタバコを抜き出し、咥えたタバコに火をつけた。 「悪ないやんけっ」  ヤクザで修業してきたお陰で、大概のことは辛抱できるはずだ。人生はまだまだ続いていく。  どこまでも広がる青空に向け、私はゆっくりと紫煙を吐きだしたのだった。 16年のヤクザ人生に終止符――組長室で交わした「極道引退」の顛末【沖田臥竜が描く文政外伝~尼崎の一番星たち】【沖田臥竜】 76年生まれ、兵庫県尼崎市出身。元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、R-ZONEで連載。「山口組分裂『六神抗争』365日の全内幕」(宝島社)に寄稿。去年10月、初の単行本『生野が生んだスーパースター男、文政』(サイゾー)を敢行した。
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生野が生んだスーパースター 文政

ヤクザ、半グレ、詐欺師に盗っ人大集合。時代ごときに左右されず、流されも押されもしない男達が織りなす、痛快ストーリー。

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