16年のヤクザ人生に終止符――組長室で交わした「極道引退」の顛末【沖田臥竜が描く文政外伝~尼崎の一番星たち】
狂ったような夏が過ぎさり、秋がかけ足で過ぎ去ったかと思うと、冬が訪れ、季節は春を迎えていたのだった。
ゴールデンウィークが明け、いつものように親分は本部から本家へと出かけていった。私は、この時、本部の若頭代行を預かっていたので、その姿を本部で見送っていた。
大型連休期間は、地域住民に配慮して本家は休みに入る。そして、その連休が明けるとプラチナ(二次団体組長)の親分たちは全直参、本家へと招集され、本家親分に挨拶するのが、恒例だった。
親分が乗り込んだレクサスを見送った後、私は当番責任者に迎えに出られないことを告げた。本来ならば、本家から帰ってくる親分を本部で迎えるのも見送るのも執行部の役目だったが、この日どうしても外せない社長との会談が尼崎市内で入っていたのだ。
市内で行われた会談は、順調に終わり会談相手の社長と雑談している時だった。本部から私の携帯電話に連絡が入った。腕に嵌めている時計は、2時半を指している。ちょうど親分が本家から戻ってこられている時間帯だ。
「代行、忙しいところすんません。親分が手空いてる時に本部覗いてくれ、言われてはります」
オレはこの一言である程度の覚悟をしていた。直ぐに行くと言って、オレは本部からの電話を切った。
「社長すまんっ、ちょっと行かないかんようなったから行くわ。今日のこと頼むわな」
と言って席を立った。
本部へと入る前に、私は自宅のマンションに寄ってスーツを着替え直した。私なりの正装の意味合いがあった。本部に入ると、当番者や居合わせた組員たちが立ち上がり、頭を下げて挨拶してきた。私も「ご苦労さん」と返し、居合わせた直参に尋ねた。
「親分は?」
「組長室におられますっ」
どの顔もそれを覚悟している表情に見えた。私は、3階に上がり組長室のドアをノックした。
「ご苦労様です。沖田です」
「おっ、入ってくれ」
親分の声が中から聞こえてきたので、失礼します、と言いながら組長室のドアを開けた。組長室に入って見た親分の表情は、何だか晴れ晴れしているように見え、予感が確信に変わった。
私は親分に促され、親分の真正面のソファーに腰を下ろした。深々とソファーに身を沈めていた親分が、おもむろに口を開いた。
「沖田、お前にも相談しよか思ったんやけどな。今日、本家で引退するて言うてきたわ」
親分の声色はいつにないくらい穏やかだった。覚悟していた事とはいえ、言葉で現実に聞くのでは実感が違う。
思わず私は目を伏せた。脳裏には様々な事が走馬灯のように駆け抜けていた。
ヤクザを止めようと考えたのは、一度や二度ではない。それだけ、世の中がヤクザを受け入れなくなってきている。いつかは私もカタギになるだろうと考えていたのだった。それでも、渡世にゲソつけて十六年。塀の中で過ごした時間も含め、「自分はヤクザなんだ」と言い聞かせて生きてきたのだ。カタギになる自分が想像できなかった。
それが今終わろうとしている。膝の上に置いていた拳を私は無意識の内に握りしめていた。
「親分、私らが頼りないばっかりに申し訳ありません……」
私はそう口にすると唇を噛んだ。
「何をいうてんねん。お前はようやってくれた。ワシとカシラが留守してる間、ホンマにようやってくれた。ホンマはな、死ぬまで現役を考えてたんやけど、こんなご時世や。お前らの辛そうな顔をもう見てられへんしな。ちょうど節目の七十を迎えたから、引退を決めたんや」
人情味のある親分だった。躾けに兎に角厳しく、ヤクザとして、というよりも人として生きて行くにはどうしたらいいのか、ということに一生懸命の人だった。親分の教えがあったからこそ、どうしようもなかった自分が少しは、ましな人生を送れるようになったのだと思う。
熱いものが目頭に込み上げて、今にも噴き出してしまいそうだった。私は泣き出しそうになっていたのだろうか。なぜなんだろう。なぜか、悔しかった。
「沖田、お前はもう好きな道に行ったらええ。ヤクザ続けたいのやったら、続けたらええし、カタギなりたかったらカタギになったらもうええぞ」
どこまでも親分の声は優しかった。私は下げていた視線を上げて、口を開いた。
「親分が引退されはるんやったら、私もカタギにならせてもうても構いませんか」
親分は満面の笑みを浮かべ、頷いてくれたのだった。
親分に告げた「引退の意思」
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