“神様”ゴッチはどんなレスラーだったのか――フミ斎藤のプロレス読本#058【カール・ゴッチ編エピソード6】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
ジョー・マレンコの体つきは、カール・ゴッチのそれにそっくりだ。いつも胸をはって“気をつけ”の姿勢をしていて、お尻の面積が広くて、お腹はそんなに出ていないけれどウエストは太い。
髪形だって、歩き方だって、そんなに似なくていいのにというくらいゴッチに似ている。ほんのちょっとまえまではそれほどでもなかったけれど、プロレスと自分のあいだの距離が広がっていくにつれて、ジョーはよりゴッチのイメージに近づいていった。
アメリカではもうほとんどプロレスとはかかわっていない。弟のディーン・マレンコに頼まれてECWのライブにゲスト出場したことはあったが、最後にレスリングらしいレスリングをやったのはプロフェッショナル・レスリング藤原組のリングだった。
ニュージャパン(新日本プロレス)で試合をしてみる気になったのは、子どものころからよく知っているボーイズと再会したかったからだ。それに、たまには兄弟でタッグを組んで試合をしたくなる。
藤波辰爾は、ゴッチ教室時代のトレーニング・パートナー。フロリダ州タンパに住んでいたタイガー服部は、父親のラリーさん――プロフェッサー・ボリス・マレンコ――がツアーに出るたびにベビーシッターとして留守番に来てくれた。
マレンコ兄弟にとって、ゴッチはレスリングの師匠であるまえに父親と仲よしの近所のおじさんにあたる。ジョーがゴッチの家に遊びにいくようになったのはまだハイスクールに通っていたころで、レスリングを習うようになったのはまったくのなりゆきだった。
“神様”と“チェーン・マッチの鬼”が親友だなんて、なんだか妙な感じがするけれど、ゴッチとマレンコはおたがいを認め合う――レスリング・ビジネスのエスタブリッシュメント=体制に対する反骨精神を共有する――仲間だった。
父親の仕事の関係で、ジョーンとディーンは少年時代に何度も引っ越しを経験した。タンパに落ち着くようになってからも、親父さんがずっと家にいることはなかった。
ジョーはプロレスラーのそういうライフスタイルがあまり好きになれず、薬剤師になるために大学に進んだ。レスリングに対するアテテュード(姿勢、心がまえ)はだんだんとゴッチ的になっていった。
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