「わかんねーところがいいんじゃネーか」藤原組長がニヤリ――フミ斎藤のプロレス読本#056【カール・ゴッチ編エピソード4】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
カール・ゴッチといちばん親しい日本人レスラーは藤原喜明だろう。それはレスリングの師匠と弟子というよりは、パーソナルな関係といっていい。
――ちょっと用があって足立区南花畑のプロフェッショナル・レスリング藤原組の道場を訪ねると、藤原組長はチラっとだけこっちを向いて、粉だらけの右手をあげて「おお、よく来たな」とグリーティングの合図をしてくれた。
約80坪の道場――倉庫スペース――のなかに建てられたプレハブの事務所スペースの奥の部屋で、藤原組長は粘土をいじっていた。粘土なんていったら怒られるかもしれない。陶芸品、焼きものの原型をこねていた。
まだやりはじめたばかりというわりには、棚のなかにはずいぶんたくさんの作品が並んでいる。フリーハンドで作ったコーヒー・マグには“よしあき”なんてスタンプまで彫りこんである。
岩手に大きな工房を持っている陶芸家の友だちがいるそうで、藤原組長がこしらえたお皿や置き物もそこでじっくり焼かれる。凝りはじまったら、とことん凝らないとおさまらない。そして、「これはこうなんだ、と説明できないところがいいんだ」とほんのちょっとだけ説明してニヤリと笑ったりする。藤原組長は芸術家である。
いわゆる多趣味だ。いくらでも大きくなりそうなアメリカン・ピットブルを家のなかで飼い、1日のうちの5時間か6時間を「日々変わる」盆栽の手入れに費やし、イラストを描き、浪曲をうなる。パチンコもすればお酒も飲む。気が向けば料理もする。
もちろん、いちばん大切なレスリングの練習を欠かすことはないし、キックボクシングの練習もつづけている。
「いろいろあったけど、いまがいちばんいい」と藤原組長はいう。自分の道場を持ち、若い新弟子たちにレスリングを教え、みずからはアートとしてのサブミッションの研究にいそしむ。現役としてはあと10年くらいのんびりとがんばりたい。
藤原組長のなかではプロレスをつづけていくこと自体がアートになっているのだろう。訴えるべきことの訴え方は肌に染みついているから、どこのリングでどんな試合をしようとも藤原組長は藤原組長のままでいられる。
「あんまり口でべらべらしゃべっちゃいけないんだよ」
勝手にいわせとけばいいじゃないか、みんながそれぞれいろいろなことをいえばそれでいいじゃないか、という哲学である。
藤原組の自主興行で新日本プロレスの石澤常光とシングルマッチで闘ったときの藤原組長は、試合用の黒のショートタイツではなく、練習用のスパッツをはいていた。試合中、関節技をほとんど使おうとせず、気がついたら30分時間切れのドローになっていた。
藤原組長は、練習用のスパッツで試合をしたことについても関節技を使わなかったことについても、なにもコメントを残さなかった。しつこく質問しても、答えてくれない。
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