“神様”ゴッチはどんなレスラーだったのか――フミ斎藤のプロレス読本#058【カール・ゴッチ編エピソード6】
ゴッチがいったいどんなプロレスラーだったかをはっきりと記憶している人はそんなにたくさんいない。アメリカのリングではアメリカン・スタイルをアダプトして試合をしていたし、あまり知られていないことだが、ニューヨークではWWE世界タッグ王者になったこともある(パートナーはレネ・グレイ)。苦手なロープワークだってやったし、パイルドライバーなんかも使っていた。
ジョーは、ゴッチのプロレスをよく知る数少ないアイ・ウィットネスのひとりである。1973年10月に蔵前国技館でおこなわれたゴッチ&ルー・テーズ対アントニオ猪木&坂口征二の“世界最強タッグ”のビデオも持っている。
ゴッチはゴッチでジョーのことを“息子”のように考えているようで、ふだんのなんでもない会話のなかで、ジョーにだけにはグラウンド・ポジションでのヒジの――相手の顔面をごしごし擦る――使い方なんかをこっそり教えてくれたりする。
いくら目を皿のようにしてUWF系各団体のレスリングを分析しても、ゴッチのプロレスはみえてこない。
ゴッチが多くの日本人レスラーに啓蒙してきたのはサブミション(関節技)の技術とトレーニング・メソッドのふたつで、現役時代のゴッチが悩んだり困ったりしながらなんとか形にしていたプロレスは、U系レスラーには伝えられていない。
ゴッチのプロレスがじっさいにどんなものだったかを知るにはジョーの試合をたんねんに観察してみることだろう。
弟のディーンはプロレスそのものが好きで、プロレスのそばにさえいればハッピーだけれど、ジョーはある一定のレベルに達していないレスラーと同じリングに立つことを極端に嫌う。ゴッチのプロレスをうんと洗練させたものがジョーのプロレスである。
薬剤師のジョーは、2週間にいちどずつゴッチの家に薬の袋を届ける。ゴッチがトレーニングをやりすぎてヒザや腰を悪くするたびに、ジョーは「おお、カール」とつぶやいて額に手をあてる。
ジョーにはゴッチの不器用さが痛いほどわかるのである。(つづく)
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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