いまもはっきり聞こえるシニアの声――フミ斎藤のプロレス読本#080【テリー・ファンク編エピソード5】
おそらく、テリーは自分でも気がつかないうちに50代に足を踏み入れてしまったのだ。テキサス・ブロンコもずいぶんトシを食った。
どのくらい親父になったかというと、ふたりの娘の下のほうが嫁にいっちゃうくらいの年齢。結婚してしまった娘たちが日に日に顔も性格も母親――つまりテリーのカミさん――にそっくりになっていく姿をみてため息をつくような年齢である。
子どもたちがオトナになってしまったら、お父さんはおじいちゃんになる準備をしなければならない。もう十分すぎるくらいリングには上がったのだから、これからは牧場で馬や牛を追いかけながら暮らすのもいいかもしれない。
しかし、テリーは1日でも長くプロレスをつづけたいと考えているし、プロレスのほうでもそうかんたんにはテリーを逃がしてはくれない。“テリー・ファンク”からプロレスの道を、生きる力をインスパイヤされたボーイズがどこまでもどこまでも追いかけてくる。
故郷アマリロには、父ドリー・ファンク・シニアのお墓がある。墓石には「ドリー・W・ファンクSr。この墓のまえに立って泣くのはやめてください。わたしはここにはいません」と記されている。
これがシニアの遺言であったのかどうかはわからないが、肉体は滅んでも魂は滅ぶことはない、という考え方そのものはプロレスにもちゃんとつながる。
シニアは、1973年6月に54歳でこの世を去った。リングから遠ざかってはいたけれど、最後の最後まで引退宣言はしなかったという。もうじき、テリーはシニアと同い年になる。
父親が生きていたら、こんなときはこうするだろう、こういうときはこうするにちがいない、というメッセージがテリーの頭のなかでぐるぐるまわっている。
テリーの耳にはシニアの声がはっきりと聞こえる。“ファンク・ドント・ライFunk Don’t Lie(ファンクはウソをつかない)”。“ファンク・ドント・チートFunk Don’t Cheat(ファンクはズルをしない)”。
いくらポンコツになっても、エンジンがかかるうちは車は走る。テリー・ファンクにはテリー・ファンクしかできない――。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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